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 翌日。
 やっぱり高校へは行きたくないとだだをこねる足に鞭を打って、私はなんとか高校へと辿り着き、頭がまったく働かないのを我慢しながら、午前中の授業を乗りきった。そして、
「ふーゆっしばっ。あーそびーましょっ」
 昼休みになり、いつものサル顔の女の子を中心とした不良グループに声をかけられた。
 教室中の哀れみの視線と、霧ちゃんの凍てついた視線がぐさぐさと突き刺さる中、私は教室を横切って、彼女たちのもとへと足を運んだ。

 いつもと同じ、カビ臭い体育館倉庫の中。
 もはやルーチンとなった、ひと通りの挑発を終えた所に、やはりいつもと変わらない、鋭い蹴りが飛んでくる。私はそれを避けずに真正面から受け続けて、床に転がる。
「ノロマ」
「バカ」
「ノータリン」
「お邪魔虫」
「イカレポンチ」
 蹴りや踏みつけと同時に投げかけられる罵倒の数々にも、もうすっかり慣れた……微妙に罵倒のバリエーションが増えている気がしたが、覚えていても仕方がないことなので、蹴られつつ踏まれつつ、私は適当に受け流すことにしていた。
 ――バカなのは事実だしなあ。この前の期末テストも、赤点が……ええと、いくつあったっけ。それすらも思いだせないのだから。うん、やっぱり私はバカだ。再確認できた。
 そんなことをぼんやりと考えながら、私は暴力の嵐に身を委ねていた。
 昼休みの体育館倉庫には、滅多なことではひとが足を運ぶことがない。助けを呼ぼうとした所でも、ひとがまったくいないのだから意味がない。だからこそ、こうして恰好のいじめスポットになるのである。
 ――あー、またおかあさんに怒られるなあ。
 これもいつも通りの思考。実際におとといも怒られたし、それにももう慣れた。おかあさんはおてんばな娘が変な遊びをして帰ってきたというくらいにしか思っていないだろうから、これもあんまり気にするべきことじゃない。まあ、クリーニング代がかさんでしまうのが唯一の問題点だけど。
 ――あすからは、十月の三連休だなあ。少なくとも三日間は、この子たちとも顔をあわせずに済むんだね。よかったよかった。
 きょうもまた、このまま無事に(?)暴力の時間がすぎてくれればそれでいい。そんなことを思った矢先だった。
 ジャージ姿の霧ちゃんが倉庫の前を横切るのが、蹴りを入れてくる少女たちの足の間から見えた。そっか、次の時間は、時間割の変更で体育だったっけ。
 私を罵倒する数々の声が聞こえたのか、霧ちゃんがゆっくりと、こちらを向いた。
 その視線は、まさに氷のように冷ややかだった。触れるものをそのまますっぱりと斬り裂いてしまいそうなほどの絶対零度の視線が、いままさに蹴られ、踏みつけられている私に向かって、容赦なく突き刺さってくる。
 サル顔の女の子が私を蹴る足を止め、霧ちゃんに声をかけた。
「寒河江、あんたもいっしょにやらない? ゴミの処理なんだけれどさ」
 ――今度はゴミにされましたか。同じゴミならこの子たちに処理されるより、セッちゃんに拾われた方がよっぽど幸せなはずなのになあ。
 私はそんなバカなことを考えつつ、霧ちゃんから目を離さなかった。
「いい。くだらないから」
 霧ちゃんはぼそっとそれだけいうと、踵を返した。その背中に向かって、サル顔の女の子が脅すように声を投げつけた。
「チクッたりしたら、あんたも同じめに遭わせるからね? バラすんじゃないよ」
 霧ちゃんはなにも答えず、無言でその場を立ち去っていった。
 人間関係に非常にドライな霧ちゃんのことだ。バラして自分を危険に曝すようなことはしないだろう。少なくともこれで、霧ちゃんの身は安全だ。私はいつも通り、見事にフルボッコにされるわけだけれど。
 高校内におけるたったひとりの話し相手の無事を確信しつつ、
「さて、ゴミ処理の続き続きっ」
 私は再び始まった蹴りと踏みつけのラッシュの中にその身を投げ出す。肉を苛む鈍い音が、たくさん響き始める。
 なぜかはわからないが、その日は普段より蹴りも踏みつけも、数倍痛く感じた。いつもならなんということもない蹴りでさえも、鋭い痛みとなって私の身体を蝕んでいったようだった。

「ううん……きょうは派手にやられたなあ……」
 思っていることがそのまま言葉になって、口からこぼれ落ちる。
 お腹の痛みが引かなかったので、私はそのまま学校を早退することにした。午後の授業の先生方には、体調不良とだけ伝えてほしいと霧ちゃんに伝言を残してきた。霧ちゃんは相変わらず冷たい表情のまま、伝えておく、とだけいってくれた。下手に先ほどのできごとを追求しないでくれたのが、とてもありがたく思えた。
 私は学校をでた足で、そのまま海岸へと向かうことにした。きょうはいっぱい痛いめに遭ったのだから、少しくらいこころを落ち着かせてから家に帰りたい。セッちゃんのかわいい笑顔を見られただけで癒される。そんな気がしたから。

 私が海岸に辿り着いた時には、セッちゃんはいつものように、ゴミ拾いの最中だった。いつもと変わらない、着崩した白いワイシャツにジーンズ姿で、ひとり淡々とゴミを拾っていた。
「おーい、セッちゃーん」
 私の声に白髪頭が反応し、きょうも変わらずかわいい笑顔をこちらへと向けてくる。それだけでなんだか、少しだけ癒された。私はセッちゃんのもとへ駆け寄る。
「おや、みぞれさん……いまは学校の時間なのでは?」
「体調不良っていって、早退してきちゃったよ」
 私は努めて明るく笑ってみせる。大丈夫、笑っていれば、傷のことはバレない。
「……その制服の汚れ……まさかとは思いますが……踏みつけられたんですかっ……」
 セッちゃんがかわいい顔をしかめ、私に強い口調で問いかけてくる。
 ……予想外の所から、一発でバレることになった。そういえば、汚れを大雑把に払ってくるのを忘れていた。改めて制服を見回してみたら、至る所に靴の跡が残っていた。
「あー、これはね……私、ちょっと学校で……その……なんていうか、いじめられているんだけれど……でも大丈夫だよ。いつものことだから、もうすっかり慣れちゃったし」
 正直な所を、しかし軽い口調でいってみたけれど、セッちゃんの表情は余計に曇った。
「どうして……」
 絞りだすような声で、セッちゃんがいう。
「どうして、あなたみたいな強い方が自殺なんかしようとしていたのかと、ずっと考えてきましたけれど……こんな……こんな、ひどい理由だったんですね……」
 セッちゃんにいつもの笑顔は見られない。セッちゃんなら、軽く笑い飛ばしてくれるだろうと、そう思っていたのに。
「平気だよ。いじめられている張本人の私が、こんなに元気なんだからさ。気にすることなんてないんだからさ。ほら、いつもみたいに笑ってみせてよ、セッちゃん」
 しかし、セッちゃんは目を閉じ、首を横に振る。さらさらの白髪が、やけにじっとりとした海風に揺られ、わずかにたなびいていた。
「これは、さすがに笑えません……」
「……セッちゃん?」
 明らかにセッちゃんの様子がおかしかった。いつもなら苦笑い程度には笑顔を見せてくれるはずのセッちゃんが、くすりとも笑ってくれない。
「……みぞれさん」
 セッちゃんが、いつになく真剣な口調で話しかけてきた。
「なに?」
 対する私は、先ほどまでと同じ軽い口調で返す。
 セッちゃんは閉じていた目を開き、こちらを見上げるようにして、じっと見据えてきた。
「みぞれさんには……親しいお友達は、いらっしゃいますか?」

 唐突な問いかけに、一瞬言葉がでなかった。しかし、私はなんとか笑顔を作り、答える。
「むずかしい質問だね……いる、っていったら嘘になっちゃうかな……それなりに話をする相手はいるけれど、それくらいのつきあいだし……親しい友達といわれると……うーん、やっぱり思いつかないかな」
 それなりに話をする相手というのも、霧ちゃんただひとりきりだ。あのサル顔の女の子とその取り巻きは、一方的に絡んできているだけなのでノーカウントにしている。こうして改めて考えた所、私の交友範囲は、ものすごく狭くて一方的だった。
 セッちゃんが声を震わせながら、いう。
「どうして……どうして、そんな環境でも我慢できるんですか? みぞれさんがいつも笑っているというのは、ここ数日で見ただけでも、十分にわかりました……本来……本来なら、笑顔のある場所には、自然とひとが集まってくる、そのはずです。それなのに、お友達がいないだなんて……寂しくはないんですか?」
 ――なんだ、そんなことがいいたかったのか。なら、答えは決まっている。
「寂しくはないよ」
 笑顔でそれを口にした途端に、散々蹴られた左胸のあたりが、鋭く痛んだ。
「四年半も、続いているんだから……もう、すっかり慣れちゃったよ。だから全然寂しくなんかないし……つらいわけでも、ないんだから」
 ずきずきと胸が痛みを発してくる。なんでなのだろう。こんなに痛いのは、初めてだ。
 ――私、強がってしまっている……? 本当に思ったまま、言葉がいえている……?
「……僕には」
 セッちゃんの唇が、言葉を紡ぎだす。
「僕には、わかりません……どうしてあなたがそこまで強がるのか、どうして本当のことを打ち明けられずにいるのかが、わからない……」
 ――強がりだと、セッちゃんには見透かされている……!
 そこでセッちゃんはいちど言葉を切った。
 曇り空の海からは、じとっとした重たい風が吹きつけてくる。身体にまとわりつくようなその感覚は、いつもの気持ちのいい海風とは、まったく全然違っていた。セッちゃんが笑顔じゃないだけで……海までもが、その表情を変えたかのようだった。
 やがて、セッちゃんが再び口を開いた。
「僕も……僕も、いじめられていたことがあるんですよ」
 ……え?
「小学生の時から、六年前までずっと、僕はいじめに遭ってきました。この外見で男ですからね……男女と散々罵られ、暴行にも遭ってきました……でも、僕は我慢することができた……それは、仲のよかった幼馴染が、ずっと支えてくれていたからなんです」
 セッちゃんも、いじめられていたのか……そうか、だからだったのか。
「だから……友達はいるかって訊いてきたんだ。私にも、セッちゃんの幼馴染さんと同じように、支えになってくれるひとがいるんじゃないかって、セッちゃんはそう期待した……そういうことであっているのかな?」
 セッちゃんは悲しそうに頷いた。
「せめてそうであってほしいと思ったんです。そうでなければ、あまりにもむごい……僕と同じような魂を持っていると、みぞれさんはきのう、そういいましたよね。あなたが本当に僕と同じような魂を持っているのだとしたら、なぜいじめられているのかも想像がつきます……ですから、余計に放ってはおけないと、そう思ってしまったんです」
 つまりセッちゃんは、私との共通点の多さから、私がいじめられている理由を悟ってしまったということか。私のへらへらとしたいつもの笑顔が、いじめの呼び水になってしまっていることを、セッちゃんはたぶんすでに見抜いている。
 隠す必要は、もうない。それでも、私の表情は笑顔を選択し、私の口はさらに強がることを選んでしまっていた。
「だーいじょうぶだって。そんなに心配しなくたって、私は十分我慢できているよ。この海岸にくれば、嫌なことを忘れられる、そんな気がするんだ……それに、ここにはセッちゃんもいるし。学校では話し相手はひとりしかいないけど、ここにくればいつでもセッちゃんがいてくれるからね。それだけあれば、いまの私には十分すぎるくらいだよ」
 それは強がりであったけれども、ほとんどいまの私の本心だった。この海岸では、嫌なことは忘れられる。優しい波の音と海風とが、疲れたこころに染み渡り、傷を埋めてくれるような気がしているのだ。それにここには、かわいくて優しいセッちゃんもいてくれる。それだけで私はずいぶんと救われたような気持ちになれた。
 セッちゃんが驚いたように、その両目を大きく開く。
「……それだけで、本当にいいんですか? 本当に、つらくはないんですか?」
 私は笑顔を大きくし、答える。
「全然平気だよ。いまの私は、セッちゃんの笑顔を見られるだけで、癒されている気がするんだ。だからセッちゃんは、私の前では、いつも笑っていてくれればそれでいいんだよ。セッちゃんの笑顔、私は好きだからさ」
「みぞれさん……」
 セッちゃんの白い頬に、ほんのりと赤みが差した。それに引っ張られたかのように、セッちゃんがようやく、苦笑いを浮かべてくれる。
「冗談はよしてくださいよ。聞いているこちらが恥ずかしくなるじゃないですか」
「冗談なんかじゃないんだけどね。セッちゃんのかわいい笑顔、私は大好きなんだよ」
 セッちゃんの顔がさらに赤くなる。その様子が妙におかしかったので、私は相好を崩す。セッちゃんは顔を赤らめたまま、やや早口でいった。
「かわいいは正義だって、みぞれさんはそういっていましたっけ……でも、かわいいといわれるのは、男としてはとても複雑な気分です。前にもいいましたけれども、褒められているのか貶されているのか、わからないですからね」
「褒めているつもりだよ。私は、セッちゃんのかわいさはいい所だと思うよ」
「また恥ずかしくなるようなことを……やめてくださいよ」
「だって事実を述べたまでだし、それが私の本心なんだから仕方ないじゃん。素直に褒め言葉として受け取ってくれれば、それでいいんだよ」
 セッちゃんが耳まで真っ赤になった。しかしながら、表情はきょう初めての笑顔になった。その笑顔はやや苦笑いじみてはいたものの、私の胸を癒してくれる、かわいい笑顔だった。
「わかりましたよ……褒め言葉として受け取らせていただきますから、これ以上は本当に勘弁してください」
「あはは、セッちゃん耳まで真っ赤だよ」
 いつの間にか、吹き抜ける風の感触が、やわらかく穏やかないつもの風に戻っていた。雲の隙間から太陽も顔を見せてくれる。あたりはすっかり普段通りの、私の大好きな海岸の風景を取り戻していた。
 やっぱりここが私の居場所なのだと、改めて感じた気がした。



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