雨と夢のあとに

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毎月26日にお送りしています、コーナー「藍沢篠の書架」第10回をお送りいたします。
今回の紹介は、柳美里さんの「雨と夢のあとに」です。
書影は上の写真(←ちなみにこれは角川文庫版)の通り。
角川文庫より好評発売中です。

~あらすじ~

蝶の撮影で海外に出かけたきり、10日間も音信不通だった写真家の父が帰ってきた。
ひとりで留守番していた12歳の少女・雨は喜びも束の間、右手に火傷を負ってしまう。
手当をしてくれたのは隣室の女性・暁子だった。
父との楽しい毎日が戻ったかに見えたが、雨の周りでは奇怪な出来事が次々と起こる。
そして、突然現れた実の母親が、雨に衝撃の事実を告げる――。
(角川文庫版あらすじより)

~感想・雑感~

雨の季節にふさわしい作品として、また、現代社会で希薄になりつつある「家族」のあり方を描いた作品として、この作品を上回る作品も珍しいでしょう。
初読時はだいぶ難解なイメージを抱いた作品ではありましたが、読み返してみたいまになり、その作品としてのメッセージ性を改めて知った、そんな作品でもあります。

それでは、ここから本題の内容に入ってまいりましょう。

物語は、意味深な場面からの始まりになります。
ひとりの男が、なにかを追いかけながら、森の中を歩いている場面です。
この場面が意味するものはすぐに明らかになりますが、この導入がなければ、物語自体が動きだすことがなかったと思われる、非常に重大な導入となっています。

場面はすぐに切り替わり、主人公・桜井雨の登場です。
母親不在(←その事情は核心に触れるので、ここでは明かせません)の雨は、写真家の父・朝晴の帰りを待ちながら、ひとりでつつましく生活を送っている小学生です。
雨のけなげな生活については、ところどころに見られる描写からすぐにおわかりいただけるでしょう。
わずか12歳にして、ひとりで留守番をすることも多く、また、朝晴の影響で、普通の小学生とは一風違った思考をする、ちょっとばかり変わった立ち位置の主人公です。
……が、朝晴が帰宅して以降は、ごく普通の少女らしい所も覗かせ、その二面性に読者さんは惹かれることでしょう。

が、このあたりから早くも、物語の核心に触れるであろう、一見では不可思議な現象が散見されるようになってきます。
読者さんが違和感を覚えだすそのきっかけは、すでに書いた通りの導入と、夜に交わされる雨と朝晴の会話、そして、料理をしていた雨が火傷を負う場面からになってきます。
火傷を負った雨は、隣人の女性・小柳暁子に手当てしてもらい、その場を乗り切りますが、この日のエピソードだけでも、無数に違和感を覚えるポイントが登場します。
たとえば、1日中部屋にいるといったはずの朝晴が、雨の帰宅時になぜいなかったのか。
そして、雨が鍵をかけたはずの部屋の中に、暁子はなぜ入ってくることができたのか。
このあたりを追いかけてゆくうちに、物語はだんだんと、ひとつの残酷な結末を暗示するようになります。

話は飛びますが、ひとは生きているうちに、何度の「裏切り」を犯すのでしょうか。
これは一見、この作品の結末にまったく無関係に見えて、しかしながら重たくのしかかる問題です。

この物語は、大人と子供が同居する状態の主人公である雨がいなければ、まず間違いなく成立しないはずの話になってもいます。
なぜ、雨という「12歳の少女」が主人公でなければいけなかったのか。
なぜ、雨には「片親で育っている」という現実がなければならなかったのか。
なぜ、雨の隣人としての「暁子」が登場してくることになったのか。
そういった「なぜ」なポイントを考えて繋ぎあわせてみて、さらに、雨の実の母が告げてくる事実を重ねあわせた時、この物語が訴えかけたいであろう、真のメッセージがはっきりと形になります。
その答えは、最後まで読み通したひとの胸の内にだけ、静かに残ればいいという類のものではない、ということだけ、ここでは明かしておきたいような気がします。

余談ですが、この物語を彩るのは、重要なテーマだけではありません。
ぽつぽつと引用される音楽・漫画なども、作品において意外なポイントになっているという、仕かけとしては難解といえるレベルになっているあたりも特徴といえましょう。
これらの引用は、ちょっと言葉を変えれば、物語全体を形作るには不要かもしれない、いうなれば不協和音みたいな感覚を与えてくる所でもあります。
が、じっと耳を澄ませてみた時に、不協和音はどんどん大きくなり、物語そのものを呑みこみかねない、もうひとつのうねりとして確かに存在する所になってきます。

美しい音だけが音楽ではないように、不協和音という、別の流れを意識した時に生まれる、別のうねり。
それが、物語の軸と重なりあった時に生まれる、一種の破滅の調べみたいなものが、この作品の中には確かに流れています。
訴えたいテーマとは?
そして、そのテーマを消しかねない、もうひとつの「裏」の正体は?
そういったものたちを意識した時に、ようやくこの作品は、本当の意味で読者さんに強いメッセージを投げかけるものになるのだと思います。
「雨と夢のあと」みたいに、儚くも確かな物語の存在を、ぜひ肌で感じてくださいませ。

~書籍データ~

初版:2005年4月(角川書店)

文庫:2008年2月(角川文庫)

~作者さんの簡単な紹介~

柳 美里(ゆう・みり)

1968年生まれ。神奈川県出身。国籍は韓国。女性。
1988年に劇「水の中の友へ」を発表し、劇作家・演出家としてのデビューを果たす。
1994年に小説「石に泳ぐ魚」を発表し小説家としてデビュー。同作は実在の人物のプライバシー問題に発展し、2002年に出版差し止めの判決を受けるも、のちに刊行が強行された。
1996年に小説「フルハウス」を発表。同作で第24回泉鏡花文学賞、第18回野間文芸新人賞を受賞。
1997年に小説「家族シネマ」を発表。同作で第116回芥川龍之介賞を受賞。
1999年に小説「ゴールドラッシュ」を発表。同作で第3回木山捷平文学賞を受賞。
2000年より小説「命」4部作と呼ばれる「命」「生」「魂」「声」を発表。
2005年に小説「雨と夢のあとに」を発表。のちに実写映像化される。
その他の主な著作に小説「水辺のゆりかご」「タイル」「女学生の友」「ルージュ」「自殺の国」や、随筆「家族の標本」「私語辞典」「言葉は静かに踊る」などがある。
2015年より福島県南相馬市に転居、現地の学校の校歌を手がけるなど、現在も活動を行っている。
私小説の第一人者として高い実力を誇る。



……というわけで「藍沢篠の書架」第10回は、柳美里さん「雨と夢のあとに」でお送りいたしました。
この紹介から、実際に本をお手に取っていただけることを切に願っています。

それでは、次回をお楽しみに。