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「おーい、セッちゃーん」
 放課後。私はいつものように、海岸を訪れていた。無論、セッちゃんに逢うために。
 これまたいつもと変わることなく、着崩したワイシャツにジーンズ姿でゴミ拾いに勤しんでいたセッちゃんが、私の声に反応して手を振ってくれた。私は夕暮れの砂浜を駆け抜け、セッちゃんの所へと向かう。
「みぞれさん、きょうはずいぶんと遅かったですね。ちゃんと学校に行かれたんですか?」
「ふふふ。七時間、きっちり授業を受けてきましたー」
「それは重畳なことです。学生の本分はお勉強ですからね」
 幼い外見のセッちゃんがそんなことをいうと、まるで子供が背伸びをしているような感じがする。それが妙におかしくて、私は声を上げて笑った。
「セッちゃん、こんなにちっちゃくてかわいいのに、やっぱり私より大人なんだね」
「それ、褒めているんですか?」
「褒めているよー。ただ、ちょっと内容がおじさんくさい気はしたけれどさ」
 思ったままを口にしたら、セッちゃんは少し頬を膨らませた。
「さすがにまだ、おじさんと呼ばれる年ではないと思いたいです」
「あはは、そりゃそうだよね」
 そんなセッちゃんの反応がおもしろくて、私は再び笑った。

 私とセッちゃんはいつもの通りに、ゴミを拾いながら砂浜を歩いた。
 だんだんと沈むのが早まってきた秋の夕陽が、海岸線を茜色に染めていた。セッちゃんと初めて出逢った、あの日と同じように。
 穏やかに吹き抜ける海風が、前を歩くセッちゃんのさらさらの白髪を揺らしていった。
 そういえば、まだ訊ねていないことがあったことを思いだした。
「ねえ、セッちゃん。その髪の色なんだけれど……それって生まれつきなの?」
 セッちゃんはこちらを振り向き、寂しそうに笑い、そしていう。
「いいえ、もともとはごく普通の黒い髪でした。ただ……六年ほど前から徐々に色が薄くなり始めまして、いつの間にか完全に色が抜けてしまったんです。いまのような真っ白になったのは……いつごろでしたかね。もう覚えていません……」
 その言葉が奇妙に引っかかった。六年前……といえば、セッちゃんが前にちらっと話していた、セッちゃんがまだ高校生だったころと合致する。
 セッちゃんの過去について、私はほとんど知らない。知っているのは、いじめに遭っていた時期があるということと、その時期のセッちゃんを支えていた幼馴染がいるということくらいだ。それ以上の情報を私は持っていない。
 六年前、あるいはもっと前に、なにかがあったというのだろうか。そしてそれは、セッちゃんがこうして海岸に居座る理由にどこか関係があったりするのだろうか。
 でも、私はそのことは考えないことにしていたはずだ。いまのセッちゃんとの関係を壊してしまいたくない。だから事情は訊ねない。そう決めていたはずだ。
 私は軽く苦笑いを浮かべる。いまの感情は自分でもはっきりとわかる。私はいま、明らかに困っているし、戸惑っているのだ。もっともっとセッちゃんのことを知りたいという欲求と、セッちゃんという、いまの私にとって、いちばん大切な知りあいを失うことへの恐怖が、私の中で戦いを繰り広げていた。
 しかし……私はすでに、次々と溢れてくるセッちゃんへの興味を、抑えることができなくなってしまっていた。欲求のメーターの針は、実にあっさりと振り切れた。
 気がついた時には、私はつい、その問いを口走ってしまっていた。

「セッちゃん……セッちゃんは、どうして毎日この海岸に来て、ゴミ拾いをしているの?」

 強い海風がひとつ、私の短い癖毛と、セッちゃんのさらさらの白髪とを揺らしていった。
 その感触に我に返って、慌てて口を両手で押さえたが、すべては手遅れだった。
 こちらをじっと見つめているセッちゃんの顔から、どこか寂しげであった笑顔が引いていくのが見えた。かわいらしい顔からみるみる血の気が失せ、顔色が青白く変わっていく。明らかに訊いてはいけないことを訊いてしまったのだと、一瞬でわかった。
 ――やってしまった! だから訊かなければよかったのに! 私のバカ!
 心中で自分自身を罵倒する。しかし、当然時間が巻き戻るわけもない。
 私はセッちゃんに、関係を破壊するような問いを投げかけてしまった。それは、もう覆すことのできない、重たい現実だった。
「みぞれさん……」
 蒼白な顔をしたセッちゃんの口が開かれる。きっと、関係の終わりを告げる言葉が紡がれることだろう。これでさよならだよね、セッちゃん。短い間だったけど、楽しかったよ。

「その問いに、お答えしましょう」

 うん、そうだよね。お答えしましょう、ね……
「……え? あれ? 話して、くれるの?」
 私は呆然とした。関係の終わりかと思ったのだが、予想だにしなかった答えが返ってきたことに、驚きを隠せなかった。
 セッちゃんは呆けている私に向かって、さっきまでとまったく同じ、どこか寂しげな笑顔を浮かべながら問いかける。
「少し長くなりますが、構いませんか?」
 私は相変わらず呆然としたままで、首をひとつ、縦に振っていた。

 私とセッちゃんは向かいあって砂の上に座り込んだ。
 セッちゃんの表情は、先ほどまでと同じ、寂しそうな笑顔のままだった。そして、セッちゃんはその答えを、静かに語りだした。
「僕が昔いじめられていたということと、その時に支えてくれた幼馴染がいたということはもうお話しましたよね」
 私は頷く。それはつい四日前、私がいじめられていることを話した際に聞いた話だ。
 セッちゃんは寂しげな笑顔のまま、続ける。
「端的にいいますと……僕は、その幼馴染と別れることになってしまったんです。六年前の冬の日に、まさにこの場所で」
「ここで……? いったいなにがあったっていうの?」
 私の言葉に、セッちゃんの寂しげな笑みが、より一層寂しさを増したかのようだった。それでもセッちゃんは、話を止めない。
「まずは、その幼馴染のことから話したいと思います。幼馴染の女の子の名前は、ヒカワリッカといいました。ヒカワは氷に三本線の流れる川、リッカは漢数字の六に、咲く方の花と書きます」
 セッちゃんは砂の上に指で「氷川六花」と書いた。
「六花……っていうと、雪の結晶のことだよね。きれいな名前だね」
 以前調べた知識を引っ張り出し、私は感想を述べる。セッちゃんが以前口にした「リッカ」という言葉は幼馴染の女の子の名前だったのか。
「六花と僕は、誕生日が一緒で、名前の由来がほぼ同じでした。それがきっかけで、小学校に入ってすぐのころから、六花と僕はとても仲よくさせてもらっていました。僕がいじめを受けるようになってからも六花だけはずっと、僕の傍にいてくれて、笑っていたんです」
「だからセッちゃんはいじめに耐えることができたって、そういっていたよね」
「ええ、そうです。六花がいてくれたからこそ、僕はいじめられても我慢し、笑顔を絶やさずにいることができました。六花は、僕の笑っている顔が好きだといってくれました。だから僕は、彼女の前ではいつでも笑っていようと、そう決めたんです」
 確かに、セッちゃんの笑顔はかわいくてすてきだ。私もその点は六花さんに同意できる。
「僕に対するいじめは、小学校の時から始まり、高校生になっても続きました。しかしながらやはり六花は僕の傍にいてくれて、精一杯の笑顔を振り撒いてくれました。いつもきらきらとした笑顔を見せてくれる、明るくて朗らかな女の子。それが僕の、六花に対して抱いていたイメージでした。六花も僕も笑顔でいることが多かったですが、六花の笑顔は、本当の意味でひとを引き寄せるような、そんな魅力を湛えていたように思います。実際、彼女は友達もたくさんいましたし、いつでもものごとの中心にいるような、そんな子でしたからね。僕はその真逆でした。笑顔でいることが原因で孤立してしまう、そんな子供でした」
 私の脳裏に、眩しいほどの笑顔を湛えた、どこかセッちゃんに似た女の子の姿が浮かんできた。セッちゃんとはまた種類の違う、明るくてひと好きのするような笑顔。おおよその六花さんのイメージが、掴めたような気がした。
「ですが、六花とすごす日々は、ある日唐突に失われました。それが六年前の冬の日、この海岸で起こった、六花との別れなのです」
「別れって……どういうこと?」
 私の問いに対し、セッちゃんは首を小さく横に振った。そして続ける。
「詳しくは話せませんが……僕はその日、とある理由から六花と別れることになってしまったんです……六花がいなくなり、僕はひとりぼっちになりました。髪の色が抜けたのは、その時のショックが原因なのだと思います……そして、六花と別れたその結果、学校にもどこにも、僕の居場所はなくなってしまいました。そんな時に……この海岸だけが、僕の居場所であると……そう思えたのです。六花との最後の思い出の残っているこの場所だけが……だから僕は、この場所だけはいつでもきれいなままで残しておきたいと、そう思いました。そのためにあの日以来、毎日ここでゴミ拾いを続けているんです」
 切ない……本当に、切ない理由だった。セッちゃんは毎日のゴミ拾いの中で、六花さんとすごした日々の記憶を反芻していると思われる。六花さんが隣で笑っていて、満ち足りていたという、過去の記憶たちを。
「セッちゃんは……優しいひとだね。別れた相手との思い出を護るために、ゴミ拾いを六年間も続けるなんて、そうそうできることじゃないよ」
 私は感嘆の声を上げる。
 セッちゃんは、少し照れたように笑ってくれた。しかしながら、先ほどまでの寂しさの色はまだ残ったままだった。
「みぞれさんは、マリンスノーというものをご存知ですか?」
 セッちゃんが唐突にそんなことをいいだした。
 マリンスノー。言葉だけは聞いたことがある。私とセッちゃんが大好きなあの曲のモチーフになった、海で起こるという現象の名前……だったかな。
「名前だけは知っているけれど、どんなことなのかまでは知らないよ」
 そう答えると、セッちゃんは説明してくれた。
「マリンスノーとは、プランクトンの死骸やその排出物などが、まるで雪のように海中を浮遊する現象のことなんです。それは本当に、地上に降る雪と同等……もしくはそれ以上に、神秘的な光景なのだそうです」
 へえ……そんなきれいな現象のことだったんだ。初めて知った。
「六花と僕は、別れる前にひとつの約束を交わしました。いつか一緒にマリンスノーを見に行こうという、最初で最後の約束を……」
 そこまでいうと、セッちゃんは寂しそうな笑顔をさらに大きくし、海を見つめた。
「しかし、もうそれは、果たすことのできない約束になってしまいました……ここにはもう、六花がいないのですから……」
「……セッちゃん」
「それどころか、僕は六花と別れた日以来、雪のひとひらさえも見た覚えがありません。海の雪どころか、陸の雪さえも、僕の上には降ってくれませんでした」
 私たちの暮らす街は、かなり温暖な気候をしている。この街に雪が降ることは、数年にいちどあるかないかという程度だ。最後に雪が降ったのは、いつのことだっただろうか。私はもう思い出せなくなっている。
「この街に最後に雪が降ったのは……僕が六花と別れることになった、六年前のことでした。雪の降りしきる中で六花と僕は別れ……それ以来、いちども逢っていません」
 セッちゃんは海の彼方を見つめたまま、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。いつの間にか、表情だけでなく、口調までもが寂しげに沈んでいた。
 セッちゃんにとって、六花さんというひとの存在はどこまで大きなものだったのだろうか。
 別れから六年がすぎたというのに、セッちゃんはゴミ拾いという形で、彼女との思い出を必死に繋ぎ止めようとしている。それはどこか悲愴感すら漂うようなものであり、セッちゃんがどれほど深く、六花さんのことを思っているのかを示すような、そんな行動だった。
 セッちゃんは視線を、海の彼方から私へと移す。そして寂しそうに微笑んだ。
「僕の昔話はこれでおしまいです。僕にとってこの海岸は、思い出と約束の詰まった場所なんです。それが、僕がここでゴミ拾いを続けている理由です」
 セッちゃんが再び、海の彼方に視線を送る。そしてまた、ぽつりと呟いた。
「今度の冬は、雪、降りますかね……」

 この日、私が危惧していた最悪の事態……関係崩壊は、起こらなかった。
 セッちゃんは別れ際、ようやく戻った、いつものかわいい笑顔でいってくれたのだ。
「お時間がありましたらまたきてくださいませ。僕はこれからもゴミ拾いを続けますから」
 その言葉が聞けただけで十分すぎるくらいだった。
 絶対にまた逢いにこよう、と、私はそう思ったのだから。



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