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【9】
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 次の日も、その次の日も、霧ちゃんの遅刻と無言は続いた。いつもの暴力の時間も、どんどん痛みを増しながら続いていた。
 その間もずっと、私は放課後になると、海岸へと足を運んでいた。もちろん、セッちゃんのかわいい笑顔を見たいがために。
 この日も海岸はきれいに晴れ渡り、吹き抜ける海風がここちよかった。
 セッちゃんはこの日は、すでにゴミ拾いを終えたのか、ゴミでいっぱいのビニール袋とトングを砂の上に置いたままの姿で、ぼんやりと海を眺めていた。私はそんなセッちゃんに、うしろから声をかける。
「セッちゃん、こんにちは」
 私の声を聞き取り、セッちゃんが笑顔でこちらを振り向いた。きょうも一日中、ずっと霧ちゃんに無言で応対されていた私としては、嬉しいくらいの反応だった。
「みぞれさん、こんにちは。きょうもきちんと学校に行かれたみたいですね」
「そりゃ、私だってサボってばかりはいられないからね」
 努めて軽めの口調で話す。セッちゃんは笑顔を大きくした。
「それは重畳です。しっかりお勉強し、適度に遊んできてくださいね」
 セッちゃんのそんな言葉が、やはりどこか外見とミスマッチな感じがした。それが妙におかしくて、私はいつものように笑うことができたのだった。

「ラーラーララー……ララー……」
 私がいつもの唄を口ずさむと、
「「ララーララーララー……ララララーララーララー……」」
 セッちゃんの唄う声が私の声に重なり、きれいなハーモニーに変わる。
「「ラララーラララッララー……ララー……ララーララーララー……ラララー……ラララーラララララララー……」」
 重なりあい、響きあう声を聞く私の胸に、澄んだ雫がこぼれ落ちたような感じがした。それは疲れたこころを癒してくれる、ここちのよい波紋を生み出していった。
「「ラララーラーラーラララー……ラララーラーラーラララー……ラララーラーララーラーララー……ラーララーララー……」」
 ふたり同時に唄い終わる。
 セッちゃんがこちらを向いた。その表情は、穏やかな笑顔のままだった。
「やはりこの唄はいいですね……こころが洗われていくような、そんな感じがします」
 セッちゃんも、私と似たような感慨に耽っていたようだ。
「でも、六花のことを思いだすので……少しだけ、悲しくもなります……」
 ――って、そうか……セッちゃんは、別れた幼馴染……六花さんからこの唄を教えてもらったんだっけ……セッちゃんは六花さんのことを思い出して……
 迂闊な選曲をした自分を、少しだけ呪った。
「マリンスノーは……」
 セッちゃんの話の内容が、唐突に変わる。
「ひとしきり海の中を舞ったあとは、海の底へと降り積もり、深海魚や他の生きものたちのエサとなるのだそうです」
 そういえば、唄にもそんな部分があったっけ。
「願わくは僕も、そんな生き方……この場合は死に方といった方が正しいのかもしれませんが……いずれにせよ、そんなふうに果てたいものです……」
 そう呟くセッちゃんの顔から、みるみる笑顔が引いていく。笑顔の抜けきったセッちゃんの表情は、とても寂しそうで、私は胸を締めつけられたような感じがした。
「セッちゃん……」
 そう呟くのがやっとだった。
「みぞれさん」
 セッちゃんが急に相好を崩し、笑いかけてくる。
「もういちど、唄ってくださいませんか? 今度は僕、聴いていますから」
 私は少し迷う。悲しくなるといっていたのに、セッちゃんは穏やかな笑顔で唄っていた。それは強がりなのかもしれない。悲しいのを隠すための笑顔なのかもしれない。
 それでも、少しでも笑ってくれるのなら……笑顔を見せてくれるのなら。
「……わかった。いいよ」
 私は頷き、もういちどサビの最初から唄いだす。
 唄を聴いている時のセッちゃんの表情は、いつもの穏やかな笑顔だった。目を閉じてリズムに身を委ね、口もとで笑ってくれた。
 それだけでも私は嬉しかった。それだけで、こころが癒されていく感じがしたのだから。
 ――でも、セッちゃんの前でこの唄を唄うのは、もうやめにしよう。
 私は切ない歌詞のその唄を口ずさみながら、ひっそりとこころの中で誓ったのだった。

~~~

 週末もセッちゃんと過ごす時間をたっぷりと堪能したのち、月曜日の朝、私は教室の自分の席に座り、隣の席の主……霧ちゃんを待っていた。
 結局霧ちゃんは、先週は毎日遅刻してきた。今週もそうなるとは限らないが、いちどなにかがおかしくなったいまの状況が、時間の経過だけで簡単にもと通りになるとも思えない。まずはとにかく、霧ちゃんと話をしてみないことには、なにひとつとしてその事情がわからないしどう対応したらいいのかも掴めない。それに、なにより、私は霧ちゃんと、単純に楽しく話がしたい。最近のことや、セッちゃんのことなどといった、いろいろなことを話したかった。
 いずれにしても、霧ちゃんと話す必要があるということだけは、間違いがなかった。
 その霧ちゃんは、この日も遅刻してきた。三時間目と四時間目の間になって、ようやく霧ちゃんは教室へとやってきた。だんだんと現れる時間が遅くなってきている。
 決定的なまでにおかしかったのは、その表情だった。きれいに整った顔が、どこか疲れの色を帯びているように見えた。それでも冷たい視線を崩そうとしない目の下にはうっすらと隈が浮いていた。眠れていないのだろうか。
「霧ちゃん……最近、様子がおかしいみたいだけれど……なにかあったの?」
 私は先週と変わらない問いをぶつけ続ける。しかし、霧ちゃんもまた、
「…………黙っていて、冬柴」
 先週いちどだけ喋ってくれた時とまったく同じように、ばっさりと私を斬って捨てた。
 私は話をするきっかけをまたしても失ってしまい、黙ることしかできなかった。
 気まずい沈黙だけが、私と霧ちゃんとを包み込んでいる。
 ――私が、なんとかしてあげないと。
 その一心だけが空回りしているように思え、私は霧ちゃんに見えないようにしながら、自嘲混じりに少しだけ笑った。

 七時間目、二時間続きの芸術選択、美術の時間。
 私と霧ちゃんは、課題であるカッターナイフでの切り絵作りに精をだしていた。
 私が芸術選択で美術を選択したのは、単なる消去法だった。
 うちの高校の芸術選択には音楽がない。単純に教師がいないというのが、その理由だった。もし音楽があったなら、私は確実にそれを選んでいただろう。唄うのは好きだったし、唄っている間はそれ以外のことを考えずに済むからだ。音楽はないと聞いた時には、素直に残念に思った。
 もうひとつの選択科目である書道は、なんだか堅苦しい感じがしてどうもやる気が起きなかったので、私の選択はなし崩し的に、残った美術へと落ち着いたのだった。
 だけど、この選択も間違っていたような気がする。私の手先は、お世辞にも器用とはいえない。以前書いた自画像は幽霊みたいになってしまったし、いま作っている切り絵も途中で線が曲がってしまったり、切ってはいけない所を切ってしまったりと、散々だった。
 隣で黙々と紙を切り続ける霧ちゃんの切り絵は、とても繊細できれいなものだった。
 男の子と女の子が手を繋ぎ、海を見ているという構図だった。それはなんだか、いまの私とセッちゃんのうしろ姿のように見えた。
 しばらくその絵に見入っていた私に向けて、霧ちゃんの冷たい視線が刺さる。まるで、見るな、とでもいっているかのようなその視線に私は身をすくませ、無惨なできになってしまった自分の切り絵を見下ろす。
 私が作りたかった作品とは、雪の結晶をバックにした、幸せそうな女性の絵。私が生まれた日の、そしてセッちゃんと六花さんが生まれた日の、それぞれの母親たちの姿みたいな。
 失敗して、本当に笑えないできになってしまったけれど。
 おかあさんがこれを見てくれたら、どんな表情をするのだろうか。
 自分がお腹を痛めてまで産んだ我が子……みぞれの降りしきる日に生まれ、同じ名前を授かった我が子が、いちどは自らいのちを絶とうとしていたのだと知ってしまったなら、どんな顔をするのだろうか。
 ――いまならなんとなく想像がつく。
 きっとおかあさんは、おとうさんを亡くしたあの日のように、泣きじゃくるのだろう。泣いて泣いて、そして涙が涸れ尽きたころになって、またぎこちなくも微笑んでくれるのだろう。
 ――この絵は、しっかり完成させてから見せてあげたいな。
 そう思った瞬間に、授業終了のチャイムが鳴った。
 周りの生徒たちも私も、一斉にあと片づけを開始する。カッターナイフの刃をしまい、カッターマットの上の切り絵を外し、カッターマットをもとあった棚に戻す。そして、切り取った紙くずをほうきではき集め、ゴミ箱へと捨てる。
 一連の作業を終えて、荷物を取りにいちど、作業台へと戻る。隣の霧ちゃんはまだ、あと片づけを済ませていなかった。カッターナイフの刃をだしたまま、食い入るようにその刃先を見つめていた。
「霧ちゃん、片づけないの?」
「…………」
 こんな時でさえ、霧ちゃんは私の言葉を無視する。霧ちゃんは、カッターナイフの刃をぢきぢきと音を立てながらだし入れさせつつ、なにかを考え込んでいるかのようだった。その様子はなんだか、悲愴感に溢れているように見えた。カッターナイフの刃を見つめる霧ちゃんの視線は、普段の数倍冷たかった。
 しばらくそうしていただろうか。霧ちゃんは突然立ち上がると、他の生徒と同じようにあと片づけを始めた。
 ――いまのはいったいなんだったの?
 気にはなったが、それを訊けるような空気ではなかった。このあとに部活のある霧ちゃんをこれ以上引き止めておくのも悪いような気がしたので、私は諦めて教室へと戻り、荷物を持って高校をあとにした。
 ――きょうも海岸に寄って帰ろう。きょうもいっぱい蹴られたり踏まれたりしたし、セッちゃんの笑顔で癒されてから帰った方がご飯もおいしく食べられるし。
 そんなことを思いながら、私は軽快な足取りで、坂道を下っていったのだった。

~~~

 霧ちゃんの様子は、日に日におかしくなっていった。
 木曜日、ついに霧ちゃんは、お昼休みになっても姿を見せないほどになった。お決まりの暴行に連れ出される時に、冷ややかな視線が刺さらなかったのは少しだけありがたくはあったものの、逆にいつもの視線がないことが、私の不安をかき立てた。
 この日の暴行は、セッちゃんと出逢って以降の中で、いちばん痛く苦しかったように思う。暴行の質が変わったわけでもないのに、無駄に痛く単純につらかった。無様に体育館倉庫の床に転がった私は、昼休みを通り越して五時間目が終わるころになってもまだ動けず、痛みに身を縮ませて我慢していた。それでもなおのこと、私はいつものようにへらへらと笑っていた。
「……霧ちゃん……」
 埃だらけの床に転がったまま、高校内で唯一の話し相手の名を呟く。しかしながら当然のごとく、彼女がこの場に現れることはなかった。
 話し相手を失った私は、高校内で静かに孤立していた。いまさらになって、そのことに気づかされた。どうしようもないほどに、私は鈍かった。

 私はひとりで痛みに耐えたあと、六時間目の途中から教室に戻った。先生の追及には、腹痛で寝込んでいた、とだけ答えておいた。少なくとも、嘘はついていないはずだ。
 霧ちゃんはいつの間にきたのか、隣の席で淡々と授業を聞いていた。しかしながら、なにかに疲れきっているのがありありと見て取れた。顔色がよくない。冷たい視線こそ健在だったものの、その視線もどこか弱々しい。そんな視線を作っている目の下には、数日の間に少し濃くなった隈が、黒々と浮いていた。どう考えても、よく眠れていないのだとしか思えない。
 授業は退屈だった。先生の説明する数式も説明も、右の耳から入ったと思えば、左の耳からすぐに抜けていく。そんなことよりも、いまの霧ちゃんがどんな状態にあるのかという、そのことの方がよっぽど大事だった。
 やがて退屈なだけの授業が終わり、短い休憩に入る。私はすかさず霧ちゃんに声をかけた。
「霧ちゃん……顔色ひどいよ? どうしたの? なにがあったの?」
「…………」
 この日もまた、霧ちゃんからの返答は沈黙だった。凍結した視線が、容赦なく突き刺さってくる。痛い。
 だけどもう引くわけにはいかなかった。これ以上霧ちゃんの状態が悪化するようだったら、私もなにかは手を打たないといけないだろう。なにより、霧ちゃんと話せなければ、私は高校においては、本当にひとりぼっちになってしまう。ひとりぼっちになっていると気づいてしまった以上、それだけは嫌だった。笑っていられなくなってしまうから。
 一方的な理由だとはわかっていた。それでも私は、霧ちゃんと話がしたかったのだ。
「……私にはいえないような理由なの?」
 ほんの少しだけ、不服の意を込めて話す。
 霧ちゃんがなにもいってくれないなら、こちらから訊きだしてみるしか方法はないように思った。そのためにわざと、霧ちゃんの神経を逆撫でするようにいってみた。
 しかし、霧ちゃんの反応はそっけなかった。
「…………」
 無言のまま、視線の温度だけを下げてきた。男の子からのラブレターなんかを斬り捨てる時にだけ見せるような絶対零度の視線が、いまこの瞬間、私に向けられていた。
 ぞくりと悪寒が走った。そんな目で……そんなに冷たい目で、私のことを見るの?
「霧ちゃん……」
 そう口を開くのが精一杯だった。その言葉さえも、沈黙の前では無意味だった。
 結局、私は霧ちゃん自身からはなにも聞きだすことができず、そのまま下校時間を迎えてしまったのだった。



【11】
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