シンポジウム会場

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当ブログをご覧のみなさま、こんばんわ(礼)
管理人その2こと藍沢です。

今回は前置きなしで、本日参加してきた、シンポジウムのことを。
長くなりますので、ゆったりとお読みいただけましたら幸いです。

今回の会場は、岩手県で大規模なイベントが開かれるといえばここ、岩手県民会館の中ホール。
中ホールといっても、400人を収容できる、結構な規模の会場です。
ちなみに、大ホールはもっと大規模なイベントで使われますね。

12時45分くらいに到着し、飲みものを買おうとしていた所で、児童文学の会の事務局の方にお逢いしました。
ほぼ同時刻に着いていたみたいですね。

少しだけ近況を話したのち、開場時刻の13時になったため、受付を済ませてホールへ。
受付の近くでは、今回のシンポジウムのパネリストさんたちが書かれた本などが売られていました。
なにか買おうかと迷いましたが、軽く資金不足のために断念。
機会に恵まれたら、改めて探してみようと思った次第です。

会場入りしてしばらくは、児童文学の会のみなさんを待つことに。
当初はおふたりしかいらっしゃらないかも……という話でしたが、実際にはいつもの面子がほぼ集合でした。
事務局長さんと席が隣になり、来月の岩手芸術祭の体験イベントの話などを交わしつつ、開演を待ちました。

そして14時、開演です。

司会は今回のシンポジウムを企画された、国立国会図書館・国際子ども図書館の職員さん。
その司会回しでスタートし、まずは岩手県立図書館の館長さんの挨拶がありました。
図書館に行くことの多い自分も、館長さんを直に見るのは初めて。
丁寧な挨拶のあとで、いよいよ、コーディネーターさんとパネリストさんの登壇となりました。

コーディネーターを務められたのは、児童文学・児童文化評論家の野上暁先生。
藍沢は寡聞にして知らないお方でしたが、児童文学の世界では著名なお方なのだそうです。

パネリストさんは3人。
岩手県出身・在住にして、岩手芸術祭でも選者さんを務められる作家・柏葉幸子先生。
柏葉先生と同じく、児童文学作家にして、社会学の造詣が深い、濱野京子先生。
そして、詩人・翻訳家で、日本人よりも流暢な日本語を話す、アメリカ出身のアーサー・ビナード先生でした。

まず、柏葉先生の震災体験についての話から。
柏葉先生は震災当日も盛岡市内にいらっしゃり、ライフラインの一部が停止も、大きな被害はなかったとのこと。
このあたりは藍沢の体験と被っています。
実際、岩手県でも、内陸部では震災発生翌日に電力が復旧していましたからね。

震災の少しあとに出席する予定だった、ドイツ・ベルリンでの児童文学の祭典への出席は諦めたそうです。
野上先生曰く、ドイツでも日本の震災のことがガンガン報道されていたらしく、飛行機が飛ばなかったのだとか。
震災では福島県の原発事故もありましたし、無理もない話なのではないかと思いました。
原子力汚染が巻き起こっている地域に飛行機をだすなど、普通ならば考えられないですものね。

著書の「岬のマヨヒガ」の執筆に関連し、津波で大被害を受けた岩手県釜石市・鵜住居地区へ行った体験談も。
この地区では、学校で被災した子どもたちが、他の避難者の一喝で難を逃れたというエピソードが語られました。
宮城県石巻市の大川小学校で起きた、判断ミスでの大惨事とは、小さいようで大きな違いだったようです。
津波というものは、本当に一瞬の判断がいのちに関わるのだと、改めて知りました。

柏葉先生が特に重要と語っていたのが、たとえ著書でとはいえ、フラッシュバックを起こさせないこと。
いつか再び津波はくるものだと、幾度もの津波被害を受けている岩手県ではわかってはいますが……
本当にそうなってみた時、それに対処できるだけのこころ構えができているかいないかですよね。

また、もうひとつ重要と仰られていたのが、ふるさとへの見方を考え、いのちを考えること。
これは、柏葉先生ご自身もいままさに、いろいろと考えられていらっしゃることなのだそうです。
テーマとしての「いのち」……これは考えさせられることですよね。

続いて、濱野先生のお話へ。
濱野先生が震災の時に感じたものは「異様な感じ」だったとのことでした。
それと同時に、これが人生の中における、重要な転機になるかもしれないとも感じたとのこと。
「これかもしれない」と思われた、非常に大きなポイントだった模様です。

濱野先生はこれまで読まれてきた作品を多数紹介されていました。
が、震災をテーマにした時、一般文芸やノンフィクションの類は多くあるものの、児童書は少ないそうです。
児童向けの読みものとして震災を扱ったものが、思った以上に認知されていないのだとか。
2013年~2014年にかけて、いくつかの作品が発表されていたようですが、これも自分は知らずでした。
確かに、認知度は低いとみていいでしょうね。

濱野先生の仰られたことで、特にこころに残ったのは「傷つけるかもしれなくても、書く」ということ。
これは柏葉先生の仰られた「フラッシュバックへの配慮」と方向性が似ていますよね。

そして、次はビナード先生のお話でしたが、これがまたぶっ飛んだ入り方。
野上先生はビナード先生の作品について「まるでイタコのような言葉選び」と語られていましたが……
なんと、ビナード先生は実際にイタコのひとと話したことがあり、おばあさまと似たものを感じたとのことでした。
もちろん、イタコのひとはビナード先生のおばあさまのことは知りません。
逆も然りで、ビナード先生のおばあさまも、日本については詳しくないとのこと。
それなのに似ているものがでてくるというのは、一種の普遍性があるのでは、との解釈をされていました。

ビナード先生は詩人でもあるため、言葉というものの持つ重さについて、よくご存じです。
震災や復興という言葉も、子どもたちに伝えてゆくには、少し難解な所があるため、掘り下げが重要だとか。
うわべだけをなぞった綺麗ごととしての震災や復興に関しては、簡単に作ってしまうことができます。
そうではなく、本質をしっかりと見極めつつも、しっかり噛み砕いた、掘り下げた表現が必要になるのですね。

歴史にもお詳しいビナード先生、原爆と原発事故のリンクについても言及がありました。
日本人では客観視できないポイントをいくつも引きだしとして持っていて、感心させられましたね。

そこで放たれたビナード先生の言葉が、また強烈でした。
それは「現状だと、文学に社会を変えるだけの力はない」という趣旨のものでした。
ここで自分が思いだしたのが、大学時代に少しだけ齧った、哲学で触れられていた言葉です。
哲学という言葉の語源は確か、ヨーロッパのどこかの言葉で「パンにならない学問」だったかと思います。
文学にしてもある程度は似ている所があり、それだけで食べてゆくことができるか? と問われれば、否。
ビナード先生の言葉は、まさにそれをまざまざと思い知らせるような重たさでした。
ただ、そんな現状を変えるという課題もきちんと提示してきたあたり、やはりスペシャリストです。

いまの日本や諸国で行われていることは、文学の技術を応用した、一種のプロパガンダでもあります。
つい最近聞いた言葉を借りるならば「文学風」という言葉がしっくりくるのかもしれません。
ビナード先生は、そんなプロパガンダ・広告の類と、文学を切り離して考えることをされているようです。
これが、震災を経てより強く思うようになったことなのだとか。
非常にむずかしい問題ではありますが、確かに……と頷ける部分もありました。

ここでいったん休憩。
最初に配られていたアンケートに記入を行い、質問なども考えて、後半を待ちました。

会場からの質問などが集まった所で、後半へ。
後半はビナード先生からの発言でスタートとなりました。
前半で告げられていた「力はない」発言に対して、つけ加えるような形です。
それは「長いスパン、100年や200年などで見れば、力はあるのかもしれない」とのことでした。

英語の有名なフレーズに「News that stays News」なる言葉があるそうです。
直訳すると「ニュースのままでいるニュース」。
これは、文学を比喩的に表現した言葉なのだそうです。
確かに、文学はいつ見ても変わらない新鮮さでもって、ひとびとを魅了するものですよね。
そして、それは何年経っても変わらないものである、とも解釈ができます。

ここで濱野先生にバトンタッチ。
仰られたのは、震災をテーマとした児童書などが少ないのは、ピンとこないからかもしれない、ということでした。
特に、生身の人間を題材とした震災ものの児童書に至っては、ほぼ皆無に近いですよね。
それは「ピンとこない」=「感覚的にわからない」という帰結とも取れます。
たとえば、人間ではなく動物などを使った児童書の場合「約束された感動がある」と感覚的にわかりますよね。
えぐい終わり方をしている児童書自体が少ないように、動物ものなどではさらにそれが顕著になります。
そうではない作品を書くことができれば、ある意味では前進とも考えられるのではないかと思いました。

続いて柏葉先生。
仰られたのは、復興というものは、将来へと向けて生きてゆこうと思える力そのものではないか、とのこと。
たとえそれが優しい嘘・騙しの類であれど、ひとに「生きる力」を与えられるのならば、それでもいいのでしょう。
創作を志す者にできる、精一杯の優しい嘘や騙しが、ひとを前向きにできるなら……と思いました。

再びビナード先生。
生きているということは、同時に一種の抵抗でもあるのではないか、と仰られました。
常日ごろから「戦い」「叛逆」をテーマに詩を作ったりしている自分としては、これはすとんと納得。
生きることは戦いそのものなのでしょう。

もうひとつ、ビナード先生の触れられたポイントが、なぜ震災を「3.11」と数字表現するかです。
古くにさかのぼれば、アメリカの同時多発テロ「9.11」、日本ならば「2.26事件」なんかもそうですよね。
それは穿った見方をすれば、関係してくる誰にとっても真実のない危険性を孕んでいるからかも……と。
ビナード先生が実際に仰られた言葉を借りると「やばい」のですよね。
震災については、パネリストさんのお三方は全員「3.11」とは呼んでいないのだそうです。

続いて、柏葉先生とビナード先生、おふたりの話。
そこで問われたのが「死者と向きあうこと」に関してでした。
ビナード先生は原爆の犠牲者にも触れ、死者と向きあうことをやめると、そこには嘘が生まれる、と。
そして、柏葉先生は「遠野物語」の現代語訳に触れ、死者の話からふるさとの意味を知る、と。
それぞれ違った表現を用いてはいるものの、突き詰めればそれは「向きあうのは重要」となりますね。

さらに、ビナード先生は「死者の力」にも触れられていました。
過去といまが繋がった時、そこに本当の意味での「大きな物語」が生まれるのではないかという発言です。
ここで濱野先生がつけ加えの形で仰られたのが「未来にも繋がる」ということ。
そして、未来に繋がることとは、一種の「希望」になりうるということでした。

締めに、お三方からそれぞれ語られたことは、ほぼ一致していました。
濱野先生からは「希望の意味の重要性」。
柏葉先生からは「受け止めてくれる存在のための執筆」。
ビナード先生からは「書くことで生まれる可能性」。
その意味する所は……ここまで読んでくださった方には、きっと伝わるように思っています。

話が綺麗にまとまった所で、シンポジウムは終了。
実りの多い、充実した2時間半でした。

このあとは、アンケートを提出し、児童文学の会のみなさんとともにしばし談笑。
新たに知りあった方もいて、楽しいひと時となりました。

2017年9月24日、実に充実した1日となりました!
シンポジウムへとお誘いをくださった、県立図書館の担当さんに感謝です!

そんなわけで、藍沢でした!