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【25】
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 海岸にはものの数分で辿り着いた。わずかな距離しか走っていないのに、すっかり息が上がっていた。
 予想通り、セッちゃんは海岸にきていた。
 別れてから一ヶ月半ぶりに見るセッちゃんの姿は、なにひとつ変わっていなかった。雪が舞うほどの寒さの中だというのに、その服装はいつもと同じ、着崩したワイシャツにジーンズ。さらさらの白い髪が海風に吹かれ、わずかにたなびいていた。
 しかしながら、セッちゃんはすでに、私より若干低い位置にある膝の上くらいのあたりまでが真冬の冷たい海水に浸かるくらい、海の中へと進んでいた。
「セッちゃん!」
 そのうしろ姿に向かって、大声で呼びかける。
 セッちゃんの小さな肩が私の声に反応し、慌てたようにこちらを振り向いた。
 その大きな目が、驚きで見開かれる。口から、小さな声が紡がれた。

「みぞれさん……どうして……どうしてここに……」

 久々に聞いたその声は、わずかにかすれていた。それでも、確実に喋ってはくれた。
 私の表情は、この時はまだ、苦笑いを選択していた。私はいう。
「セッちゃんのことが、心配だったからだよ……」
 セッちゃんの目が驚いたように開かれた。
「別れを切りだされてからも、セッちゃんのことを忘れた日はなかった……セッちゃんとすごした一ヶ月は、私にとって……すごくきれいで、優しくて、穏やかな時間だったんだよ。そんな時間を、そしてその時間を与えてくれたひとを、忘れられるわけがない……私はずっとずっとセッちゃんのことを思いながら、この一ヶ月半をすごしてきたんだよ」
 私は話しながら、コートと靴と靴下を脱いだ。靴の中に靴下を突っ込み、コートを丸めてその上に置く。素足に冬の冷たい海風が沁みた。
 そして私は、細身のジーンズが濡れることも厭わず、海水の中に足を突っ込んだ。
 真冬の海水はまるで突き刺さってくるかのように、冷たくて痛かった。ジーンズが水を吸い込んで、どんどん重たくなる。それでも私は歩みを止めずに、セッちゃんのもとへと一歩一歩近づいていった。
 セッちゃんは凍りついたように、その場を動かないでいてくれた。
「セッちゃん……ここにくる前にだけど、セッちゃんの日記、読ませてもらったよ」
 セッちゃんの目が、再び驚愕に見開かれた。
「僕の、日記……」
「そうだよ。だからいま、セッちゃんがなにを思ってこんな所にいるのか、それもだいたいは理解している……セッちゃんは、六花さんの所に……海の底に行きたいんだよね。雪が降るのを待っていたのは、六花さんとまったく同じ状況……雪が降っている中で、海で死にたいと、そう思っていたからなんだよね……そうすれば六花さんと同じ所に行くことができるって、そう思ったからなんだよね……」
 話していくうちに、言葉が尻すぼみになっていく。セッちゃんが抱えていたその思いを確認するその作業は、私のこころにも同じ痛みを与えてきた。
「セッちゃんは、私の……六花さんとそっくりな顔を見ながら生き続けるのが、つらいと思ったんだ……どうしても、死んでしまったはずの六花さんが、まるでまだ生きているかのように錯覚してしまうから……そのことが、セッちゃんのこころを傷つけていった。私の存在がセッちゃんのこころを、ずたずたにしてしまった。そうだよね……だから、私のことを遠ざけたんだよね……霧ちゃんが私を遠ざけようとしたのと、同じように」
「…………」
 セッちゃんは無言で顔をしかめていた。私はその沈黙を、肯定の意味だと受け取った。
「でもね、セッちゃん。セッちゃんはひとつ、大きな誤算をしていたんだよ」
 私は小さく息を吸い込む。そしてはっきりといった。
「霧ちゃんの時もそうだったけれど、私は多少冷たくされた所で、大切だと思っているひとからこころを離したりはできないんだよ。だから、セッちゃんが私を遠ざけようとしてわざと冷たい言葉をいったのも、いまは気にしてなんかいない。そりゃあ、最初にいわれた時は戸惑いはしたけれど……ただそれだけだったんだよ。そんなことくらいでは、私はセッちゃんのことを嫌いになったりなんかしないし、嫌いになんかなれない。いまでも私にとって、セッちゃんは大切なひとなんだ。そんな大切なひとのことを心配するのは、当たり前なんじゃないかな」
「…………」
 セッちゃんはやはりなにもいわない。俯いたまま、ずっと水面を眺めていた。
「心配だから……心配だったから、こんな雪の日にでも、私はここまできたんだよ。でも本当によかった……セッちゃんが海に沈んじゃう前で……本当に、本当によかった……」
 そして私は、セッちゃんの右腕を掴んだ。
「戻ろうよ、セッちゃん……そんな理由なんかで、死ぬことを選んじゃいけない。セッちゃんは……セッちゃんはまだ、生きているんだからさ」
 あの日……私が死のうとしたその日に、セッちゃんからもらった言葉を返す。
 セッちゃんはやはり無言だった。かわいらしい顔をしかめて俯いたまま、その場を動こうとしない。

「……ずるいです」

 セッちゃんがぽつりと呟いた。
「……え?」
 私が思わず聞き返すと、セッちゃんは顔をようやく上げてくれた。その表情は、苦笑いへと変化を遂げていた。しかしながらその苦笑いは、どこか痛々しく見えた。
 セッちゃんは改めて口を開く。かすれた声でぽつぽつと言葉を紡いでくる。
「みぞれさんは、ずるいです……自分もいちどは死のうとしていたのに、どうしてそんなことがいえるんですか……? どうして僕にも、生きることを強いてくるんですか……? そんな説得を使うのは、卑怯です……僕の死のうという意思を、奪ってしまうつもりだったんですか……?」
 セッちゃんの口調は、どこまでも冷えきっていた。自殺を図る前の霧ちゃんのそれと同じくらい……あるいはそれ以上に、完全に凍結したものだった。顔は苦笑いを浮かべているのに、口調が伴っていない。まるで別人のそれのようで、私はセッちゃんに対して、初めて怖さというものを感じた。
 聞き慣れないセッちゃんの冷えきった口調に、私は一瞬だけ怯んだ。しかしながら、ここで引き下がるわけにはいかない。このくらいの冷たい口調は、霧ちゃんの件でそれなりに耐性がついている。
 私はすぐに笑顔を作り、セッちゃんへとそれを向けた。そしていう。
「そうだよ。私はセッちゃんに、死んでほしくなんかない。どんなにつらい過去を抱えていようとも、セッちゃんがいま生きているという事実には、なんの変わりもないんだからね。それに、いちどは死のうとした私にだからこそ、この説得はできる方法なんだよ。死のうとしたことがないひとには、自分から死のうとするひとの苦しみは、理解ができないから……セッちゃんの苦しみ、私は少しだけだけど、他のひとよりはわかってあげられるつもりだよ」
 いちど言葉を切る。そして、私が本当にやりたかったこと……こんな私にでも、セッちゃんにしてあげられると気がついた、そのことを口にした。
「そして、これがいちばんの理由なんだけれど……霧ちゃんの事件があった時、セッちゃんは私にいってくれたよね……霧ちゃんのすべてを、受け入れてあげてくださいってさ」
 セッちゃんの表情に、またしても強い驚きの色が浮かんだ。私はにっこりと微笑みながら続きの言葉を紡ぐ。
「だから、また同じことをしようと思っているんだよ……私は、セッちゃんがいま思っていること、そのすべてを受け入れたいと思うんだ。いま現在のセッちゃんのことも、六花さんがいたころの、昔のセッちゃんのことも、これから先のセッちゃんのことも……全部全部、私が受け入れてあげる。セッちゃんが傷つくような時は一緒に傷ついて、セッちゃんが笑っている時は一緒に笑いあえる、そんな存在に私はなりたいんだよ。だからさ……セッちゃんのこころの全部、私に見せてみてよ。セッちゃんがいま思っていることを全部全部、私に話してみてよ。そうしたら私も、一緒になって考えてあげる。どんなつらいことでも、私は受け入れてみせるから。どんなにセッちゃんが嫌だと思っていることでも、私が受け止めてあげるから」
 ――そうだ。とても簡単なことだったんだ。
 私がセッちゃんにしてあげられると気がついたのは、霧ちゃんの時と同じこと……セッちゃんの抱えているもの、そのすべてを受け入れてあげるということだった。
 これでセッちゃんのこころを揺るがすことができるのかは、正直な所まったくわからない。しかしながら、それが私にでもできる方法だと気がついた以上は、やってみないわけにはいかなかった。たとえ失敗して、セッちゃんがいま以上に傷つく結果になろうとも。
 ――それでも、たとえいくら傷ついたとしても、セッちゃんのことは私が受け止めてみせるんだ。絶対に……!
 私はそう誓って、きょうこの場までやってきたのだ。実に一ヶ月半ぶりとなる、セッちゃんの目の前へと。
 ――私の言葉よ、どうかセッちゃんに届いて……!
 笑顔を崩さないまま、内心で祈る。
 しかし、セッちゃんの表情はまったく明るくならなかった。それどころか、どんどん苦痛にゆがんでいくように、私には見えた。
 やがて、セッちゃんは先ほどと同じ、冷えきった口調でいった。
「みぞれさんに……あなたに背負ってもらわないといけないようなものなんかは、なにもありません。僕の日記を読まれたのであれば、それくらいはわかるはずです。僕の傷は僕のものなのですから、僕が責任を持ってすべて負わなければならないんです。それが、僕に課せられた罰であり、僕の贖罪なのですから……これは、いまは完全に僕ひとりの問題です。あなたが関わるべき所なんて、一切存在しません。ですから……放っておいてください」
 冷たい口調から紡がれたのは、これまた凍りついたような言葉の数々だった。私の知っているセッちゃんなら、絶対にいわないような、そんな言葉。だけど、それを発しているのは他でもない、セッちゃん本人なのだ。
 過去の穏やかで優しかったセッちゃん。いま目の前にいる、凍てついた言葉を発するセッちゃん。どちらもセッちゃんであることに変わりはない。そういった所まで含めて初めて、降谷雪という名のひとりの青年なのだ。その事実を、私は受け入れなければいけない。私が受け入れると決めたものは、セッちゃん丸ごとなのだから。
「放ってなんかおけないよ。私にとってセッちゃんは、友達の霧ちゃんと同じくらい……もしかしたら、それ以上に大切かもしれない、そんな存在なんだからね。友達の霧ちゃんにも、私はできる限りのことをした。だから、同じようにセッちゃんにもできる限りのことをしてあげる。これだけは、譲れないよ」
 私もセッちゃんに負けじといい返す。もちろん笑顔のままで。
 ここで私が笑顔を崩してしまったならば、負けのような気がしていた。
 笑顔でいること、それは私のアイデンティティーといっても過言ではない。ならば、その笑顔で訴えることだって、きっと私にはできる。いいや、ほとんどいつでも笑って生きてきた私にだからこそできるような、そんな芸当なのだろう。笑顔に関してだけは、自信がある。
 だから私は、きょうこの瞬間も、笑いながらセッちゃんの前に立つことを選んだのだ。私の唯一の取り柄であり武器でもある表情で。
 本当ならば、笑顔を消し、真剣な表情で話しかけるべきタイミングなのかもしれない。それでも私は、笑っていたかった。以前のようにセッちゃんと笑いあうこと。それが私のいまの目標であり、目的だった。そのためにはまず、自分が笑顔でいないといけない。そんな理由もあって、私は笑顔を選んでいる。
 しかし、笑い返してくれるはずの相手……セッちゃんの表情は、苦笑いだ。
 ある意味では間違いなく笑っている。しかし、冷えきった口調は、穏やかで優しかったはずの、以前のそれにはほど遠い。笑顔にあの口調が付属して、初めて私の見たい笑顔なのだ。
 ――こんなのは、セッちゃんの本当の笑顔なんかじゃないのだ。私が見たいのは……こころの底からの、セッちゃんの笑顔……かわいくて眩しくて穏やかな、いつもの笑顔なんだから。
 一瞬でも気を抜くと崩れてしまいそうになる、私の笑顔。それでも私は笑い続ける。セッちゃんの笑顔を取り戻す、そのために。
 それでも、待ちわびている笑顔は返ってこない。それどころかどんどん苦味が増していく。もう、苦笑いですらない。本当にまったくといっていいほどに、セッちゃんは笑っていなかったのだった。
 笑顔をなくしたセッちゃんは、やはり冷えきった口調でいう。
「いけませんよ。これは……この問題は、僕が六花を好きになってしまったがために……そして、あなたのことまでも好きになってしまったがために、起こってしまった問題です。すべての罪は僕にあり、罰を受けなければいけないのも、僕ひとりです。むしろ、みぞれさんは被害者といってもいいくらいなんです。それなのにあなたは、僕と罪を共有してしまうつもりなんですか? 加害者にして被害者でもあるという、さらに複雑な立ち位置に立ってしまわれるのだと、そう仰るんですか? そんなことは、僕が……僕自身が、許すことができません。傷を負うのは、僕ひとりだけで十分なんです」
 先ほど一瞬だけ感じた恐怖が、はっきりと形を成してのしかかってくる。
 セッちゃんはいま、必死に私を遠ざけようとしている。初めて見せる怒りの口調で、私のことを拒絶しようとしている。日記に書かれていたことから、それがはっきりとわかる。
 それでも、私も負ける気は毛頭なかった。崩れそうになる笑顔を必死で保ちつつ、私はセッちゃんに言葉を返す。
「セッちゃんが許さなくても、私は許すよ。でも、実はそれ以前の問題なんじゃないかと私は思うんだ。セッちゃんは勘違いしているみたいだけれど……ひとのことを好きになるのは、決して罪なんかじゃないよ。それはとても大切な感情。誰でも持っている、当たり前の感情なんだよ。だから、だから……セッちゃんは、なにも悪いことなんてしていない。セッちゃんがひとりで苦しむ理由なんて、本当は存在していないんだよ」
 そして私は告げる。万感の思いを込めて、その言葉をセッちゃんへと投げかける。

「だから、戻ってきてよ。前のように、私に向かって笑ってみせてよ。それがいまの私の、唯一の望みなんだから……」

 ――いいたいことを、いえた。
 そう思った瞬間、少しだけ気が緩んでしまい、笑顔がわずかに崩れたのがわかった。
 ――ダメだ。笑っていないと……セッちゃんの笑顔を、取り戻すためなんだから……
 そう自分にいい聞かせる。そうしなかったなら、完全に崩れてしまいそうになったから。
 そんな私を見ながら、セッちゃんは静かに、でもはっきりと、その言葉を口にした。



【27】
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