西の魔女が死んだ

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毎月26日にお送りしています、コーナー「藍沢篠の書架」第21回をお送りいたします。
今回の紹介は、梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」です。
書影は上の写真の通り。
新潮文庫より好評発売中です。

~あらすじ~

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。
西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。
喜びも希望も、もちろん幸せも……。
(新潮文庫版あらすじより)

~感想・雑感~

現在でこそ救済策がある程度確立され始めた「不登校」の問題、そして「生きる力」という問題に、かなり早くの段階から切り込んでいた、数少ない作品のひとつがこの作品です。
児童文学としての完成度も「読ませる力」も、とにかく圧巻の作品といえましょう。

それでは、内容へ入ってまいります。

主人公・まいは、イギリス人の血を引くクォーターの少女です。
が、その感受性の強さゆえか、学校という空間に溶け込むことができず、中学校に上がって早々に不登校に陥ってしまいます。
そんな中、日本とイギリスのハーフである母から、イギリス人のおばあちゃんのもとで暮らしてみてはどうかという提案を受け「西の魔女」ことおばあちゃんのもとへと向かうことになります。

おばあちゃんはとても優しく穏やか、それでいて聡明な性格をしている存在です。
まいに対してもその物腰は一切変わることがなく、境遇を理解して丁寧に接してきます。

おばあちゃんのもとへ預けられて早々に、まいの「魔女」としての修業が始まります。
その多くは、実は、いまの日本人、特に都会で暮らすひとが忘れがちな、ごくありふれた暮らし方です。
規則正しい生活を送ることに始まり、自然と触れあってお気に入りの場所を作ることなど、都会にいたらまず経験できないであろうことの数々から、まいは徐々に「生きる力」をつけてゆきます。

しかし、おばあちゃんの家の近所に暮らす男・ゲンジに、まいは幾度となく嫌悪感を覚えます。
ゲンジは実際問題、まいのお気に入りの場所へ勝手に立ち入ったり、近くにいかがわしい本を捨てていったり、挙句の果てにはまいのことを「外人の孫」で「不登校」であることを理由に嘲るような発言を繰り返し、そのたびにまいはゲンジへの嫌悪感を募らせてゆきます。

そんな中、おばあちゃんの家の鶏小屋が荒らされる事件が起き、鶏が殺されてしまいます。
それに関連し、まいはおばあちゃんに「ひとは死んだらどこへゆくのか」という問いを投げかけます。
おばあちゃんはその問いには答えを返さず、おばあちゃんが死んだら答えを教えると、まいに約束します。

物語後半になりようやく、まいはおばあちゃんに「不登校」になった本当の理由を明かします。
それは、この物語が書かれたころからよくあったことで、いまでもよくあるできごとです。

子どものこころというのは実に繊細で、ゆえに「生きる力」をつけさせるというのは、かなりのむずかしさです。
このあたりは、自分自身でもよく考えていることのひとつであり、どうするべきかと迷う部分でもあります。
少なくとも自分が思うのは、いまという時代は「多様性」を受け入れるべき時なのだろうということです。

このコーナーの第1回「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の際にも書いたことですが、生きることは戦うことでもあるかと思っています。
ただ、それゆえについて回ってくる「勝ち負けの問題」。
これはどうしても拭うことのできない側面でもありますが、ある意味では「受け止め方」ひとつを変えることだけで、どうにでもなる問題なのかもしれないと、最近は思うようになりました。

いまだと、小学校の運動会などで「手を繋いでみんな一緒にゴールする」などという教育を行っている所もあると聞きますが、これはある意味では最悪の方法に近いと、自分は思います。
確かに「順位を生まない」、ひいては「競争にならない」という面では正しいのかもしれませんが、この手の教育を受けた子どもというのは、逆に「競争に対しての耐性がない」「自身の長所がわからない」という、社会にでた時に致命的な爆弾を抱えることになるのではないかと、個人的には考えています。
しかも、それを「教育という形で刷り込まれる」というのが、また性質が悪いと思うのですよね。

この物語におけるまいの魔女修行のように「自分の力で考える」ということを、最初から放棄したような教育というのは、誰にとっても得を生みません。
それだけは自分なんぞでも断言できるように思っています。

さて。
話を物語へと戻しましょう。

ある日、まいはお気に入りの場所にゲンジが勝手に立ち入っている現場を目撃してしまい、そのことからおばあちゃんに向けて「あんな男、死んでしまえばいいのに」といい放ちます。
ここで初めて、穏やかだったおばあちゃんも思わず、まいの頬をはたいてしまい、喧嘩別れのような形でふたりの共同生活は終わりを迎えます。

それから2年がすぎ、作品冒頭の場面に戻ります。
おばあちゃんの危篤を知らされたまいは、母とともにおばあちゃんのもとへ向かいますが、おばあちゃんは亡くなったあとでした。
ですが、おばあちゃんはまいとの約束を忘れてはおらず、最期の時まで気にかけていたということが明かされます。
どんなメッセージで、おばあちゃんがまいとの約束を果たしたのかは、読んでみてのお楽しみです。
また、ラストシーンの前に、ゲンジが再登場する場面がありますが、ここもぜひ読んでいただきたい場面です。

「生きる力」。
それは、誰もが身につけなければならないものでありつつ、そう簡単にはゆかない要素のひとつです。
この物語のまいみたいに、しっかりと支えてくれる存在に出逢えることは、とても幸運なのかもしれません。

自分自身というものを見失いかけている状況にある子どもたちにこそ、ぜひ一読を、と思う物語です。
この物語が、きっと自身を見つめ直し、前を向くきっかけになると、信じて止まないです。

~書籍データ~

単行本:1994年4月(楡出版)

新装版:1996年3月(小学館)

文庫:2001年7月(新潮文庫。後日談「渡りの一日」が追加収録されている)

ラジオドラマ:2005年3月(NHKラジオ第1放送、FM「ラジオ深夜便小劇場」内)

映画:2008年6月(主なキャスト→おばあちゃん:サチ・パーカーさん、まい:高橋真悠さん、ゲンジ:木村祐一さんなど)

~作者さんの簡単な紹介~

梨木香歩(なしき・かほ)

1959年生まれ。鹿児島県出身。女性。
1994年に「西の魔女が死んだ」を発表しデビュー。同作で第28回日本児童文学者協会新人賞、第13回新見南吉児童文学賞、第44回小学館文学賞をトリプル受賞する快挙を成し遂げる。
1995年に「裏庭」を発表。同作で第1回児童文学ファンタジー大賞を受賞。
1996年に「エンジェル エンジェル エンジェル」を発表。
1999年に「からくりからくさ」を発表。また、同じく1999年に「からくりからくさ」より前の物語「りかさん」を発表。
2004年に「家守綺譚」を発表。同作で第2回本屋大賞3位。
同じく2004年に「村田エフェンディ滞土録」を発表。同作は2005年度・高校生向け指定課題図書に選ばれた。
その他の著作に小説「沼地のある森を抜けて」、「f植物園の巣穴」、「ピスタチオ」、絵本「ペンキや」、「マジョモリ」、エッセイ「春になったら苺を摘みに」、「ぐるりのこと」などがある。
イギリスに留学していたことがあり、児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンさんを師としている。



……というわけで「藍沢篠の書架」第21回は、梨木香歩さん「西の魔女が死んだ」でお送りいたしました。
この紹介から、実際に本をお手に取っていただけることを切に願っています。

それでは、次回をお楽しみに。