※この記事に最初に足を運ばれました方は、以下のリンク先を先に見てくださいませ(礼)

【サークルについて】
http://ginganovel.blog.jp/archives/6777896.html

【メンバー募集要項】
http://ginganovel.blog.jp/archives/13698622.html

【メンバー紹介】
http://ginganovel.blog.jp/archives/6809588.html

【参加・出展情報】
http://ginganovel.blog.jp/archives/14491612.html

【一本桜の会『企画・事業内容、支援企業、協賛者』】
http://ginganovel.blog.jp/archives/18830857.html



【29】
http://ginganovel.blog.jp/archives/24250806.html




~~~

「さぶぅー」
 年が明けて、一月一日。
 私は近くの神社の参道前で、ひとり震えていた。
 まさか、年明け初日からこんなに冷え込むとは思ってもみなかった。あの日……セッちゃんと一緒に海に沈みかけた日と同じくらい、昼すぎなのに空気が凍てついていた。普段より多く服とコートを着込んできたのに、自然と身体が震えた。
 ――さすがに寒暖の差に鈍いセッちゃんでも、この寒さだったら、いくらなんでもコートくらいは着てくるよね。
 いままで、白いワイシャツとジーンズというデフォルトの格好以外のセッちゃんを見たことがない。初めて出逢った秋の初めのあの日から、いちどたりともだ。あの雪の日でさえ、セッちゃんはまったく変わらない格好で海に沈もうとしていたくらいなのだ。薄着をしていたせいで、この寒さに負けて風邪をひいてダウンしていた、なんてオチは勘弁願いたい。こうして寒い中を待っていた私の微妙な努力はどうなるのだろうか。
 新年早々くだらないことを考える私の所にその足音が近づいてきたのは、待ち始めてから三十分も経ったころだった。私より若干早めのテンポで歩くその足音を、私は待ちわびていた。私は足音に向かって、声を張り上げる。
「遅いよ、セッちゃん!」
 足音の主……セッちゃんは、息を切らせながら、すまなそうに苦笑いを浮かべた。
「すみません……山の手の方はあまり来たことがなかったもので、散々道を間違えてしまいました」
 セッちゃんは、さすがに寒かったのか、ダッフルコートを着込んだ姿だった。その細い首には、私がクリスマスに贈った雪のブローチが、細いチェーンを通されて吊り下げられ、胸の上できれいに輝いていた。やはりとてもよく似あっている。
「寒かったでしょう? 参拝が終わったら、おしるこでも奢りますよ」
「やった! 寒い中待っていた甲斐があった!」
 現金に喜ぶ私を見て、セッちゃんもいつもの笑顔を浮かべてくれた。
 私はセッちゃんの手を握り、
「行こう! おしるこが私を呼んでいる!」
「参拝が先ですよ、みぞれさん」
 セッちゃんにたしなめられつつも、参道を登り始めたのだった。

 神社の境内は、参拝客で混みあっていた。私はセッちゃんの手を握ったままで、参拝を待つひとたちの列の最後尾に並んだ。
「こんな寒い日でも、けっこうひとがくるものなんだねー」
「そうですね。僕ももっと少ないかと思っていました」
 そんな感想を交わしつつ、順番がくるのを待つ。
 やがて、私たちの番が回ってきた。ずっと握っていたセッちゃんの手を離し、ポケットから五円玉を取り出し、賽銭箱に放り込んで……ええと、ニ礼ニ拍一礼、だったかな。
 隣に立つセッちゃんは、まだお賽銭を入れている最中だった。私はそんなセッちゃんを横目に、まずニ礼。
 ――なにをお願いするかは、もう決まっている。
 続いて一拍。
 ――セッちゃんや霧ちゃん、霜太さんと……
 さらに一拍。
 ――今年も仲よく、幸せな一年をすごせますように。
 そして一礼。
 ――短い祈りは、果たして神様まで届いただろうか。
 そんなことを思いながら、私は参拝を終えた。

 参拝後、境内のベンチに腰かけ、約束通りにセッちゃんに奢ってもらったおしるこを啜って温まりながら、私はふと気になったことを訊ねてみた。
「ねえ、セッちゃんはさっき、なにを神様にお願いしたの?」
 隣でおしるこをちびちびと飲んでいたセッちゃんは、
「……秘密です。こういうことは、ひとにいうと叶わなくなるらしいですから」
 そういってはぐらかし、結局内容は教えてくれなかった。
 ――そうか。他のひとにいっちゃうと叶わなくなっちゃうのか。
 セッちゃんの意見に納得し、私も自分の願った内容はいわないことにした。
 ――もし祈りが届かなかったとしても、いまが幸せならそれでいいじゃないか。
 こころから、そう思った。

「海岸に寄っていきませんか?」
 おしるこをおいしくいただいたあとで、セッちゃんがそう提案した。
 この山の手の神社からだと、海岸までは割と距離がある。セッちゃんが途中で迷って時間を取られたくらいに。身体の芯まで冷えそうなこの寒さの中では、到底行きたいと思えるような場所ではないと、頭の中では答えがでていたはずだった。
 しかしながら私は、
「いいよ。一緒に行こう」
 と、即答していた。なんとなくだが、久々に海を見に行くのも悪くないと、こころがそう告げていた。

 曇り空の下の海岸には、先ほどの神社とは打って変わって、まったくひとがいなかった。
 まあ、当然といえば当然だろう。元日からわざわざここへきたいと思うようなひとなんていうのはきっと、世界中を探しても私とセッちゃんくらいしかいないだろうから。
 あの雪の日以来の海岸は、妙に懐かしかった。あれからまだ二週間も経っていないのだということを思いだし、少しだけ身を震わせる。
 セッちゃんはいまも私の隣にいる。あの日、私と霧ちゃんと霜太さんとで、この世界へとなんとか繋ぎ止めた。そしてセッちゃんはあの日に、初めて私たちに、六花さんを喪って以来ずっと溜め込んできた、思いのたけを吐きだしてくれたのだ。
 それが彼にとってどれだけ大きな決意を迫ったものだったのか、いまの私はようやく掴めてきていた。
 六花さんという、いちばんの親友であり、よき理解者であった女の子を、自身の目の前で喪ったセッちゃんは、そのことに対して六年もの間ずっと、自分を責め続けてきたのだろう。それがどれほどの苦しみだったのか、私はあの日聞いたセッちゃんの言葉や、霜太さんから聞いた話からしか推し量ることはできない。でも、セッちゃんが本当に苦しかったという感情だけは、間違いなく私にも伝わってきた。
 ――六花は、僕の世界そのものだった……六花を失くした世界には、意味を見いだせない。だから僕は、六花と同じ所に行こうと、ずっとそう思っていたんです……
 あの日のセッちゃんの言葉が、いままさにそれをいったかのごとく、克明に頭の中で再生される。
 でも……そんなセッちゃんのこころを、私と霧ちゃんと霜太さんは、受け止めることができた。全員がいちどは死にたいと思ったことがある者同士だったからこそ、より親身になってその思いを共有することができた。セッちゃんはきっと、私たちにだからこそ、思いを吐きだすことができたのだろう。
 だから……セッちゃんは、死ななかった。そしていま、隣で海を眺めている。

「ラーラーララー……ララー……ララーララーララー……ララララーララーララー……」

 不意にセッちゃんが、いつものあの唄を口ずさんだ。六花さんも好きだったという、切なくて悲しいバラードを。
 そういえば、ずっと訊きそびれていたことがあった。
「ねえ、セッちゃん」
 セッちゃんが唄を口ずさむのをやめ、私の方を振り向く。
「なんでしょうか?」
 私はずっと訊きたかったその問いを、セッちゃんに投げかける。
「セッちゃんはさ……なんで、その唄を好きになったの? 六花さんが好きだったということは聞いたけど、セッちゃん自身がその唄を好きになった理由は、まだ教えてもらってなかったよね」
 すると、セッちゃんは少し寂しげに笑った。
「そういえば、お話していませんでしたね」
 そして、海の彼方をじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「この唄の歌詞の主人公が……自分と重なって見えたんです。六花が死んだ、あの日から」
 なんて自傷的な理由だろう。自分を責めていたセッちゃんが、さらに自分を追い詰めるような意味あいから、深海魚のエサになれ、などという部分のある唄を口ずさんでいたなんて……唄っている時のあの笑顔も、自嘲の意味が強かったのだろう。いまならわかる。
「……いまも、好き?」
 苦しんだ記憶ばかりが脳裏をよぎるであろうその唄を口ずさむことに、抵抗はないのだろうか。それとも、まだ自分を責めているというのだろうか。
 セッちゃんが視線を海から私に移した。その表情はとても穏やかに微笑んでいた。
「……ええ。どんなにつらい記憶とともにあろうとも、この唄は僕にとっての、最高の思い出でもあるんです。六花と一緒にいた時間と……みぞれさんに霧さん、霜太さんに繋いでもらったこのいのちのありがたさも実感できる、そんな唄ですから」
 ――言葉が、でなかった。
 セッちゃんは、その唄を胸に、前に進もうとしている。つらい過去も、それなりに幸せな現在も、まだ見ぬ未来さえもしっかりと見据え、確実に歩みを進めようとしている。
 セッちゃんは強くなった。
 セッちゃんは、優しいこころを残したままで、より強いセッちゃんに変わった。
 でも……まだセッちゃんは、少し寂しそうに見える。
 ――……私は、そんなセッちゃんのことが……
 笑顔が引いていくのが、微妙な顔の動きでわかった。いまの私はきっと、セッちゃんと同じ寂しそうな顔をしていることだろう。でも、この思いだけは伝えたかった。
 しかし、その瞬間。
「あ、そうだ」
 突然セッちゃんが表情を変え、どこか苦笑いに似た、不思議な表情になった。
 私は咄嗟に口にしかけた言葉を飲み込み、セッちゃんの言葉を待った。
 そして、セッちゃんは私に告げる。
「みぞれさん。僕、もういちど高校へ通おうかと思っているんですけれど……」
 ……え。それってつまり……
「セッちゃん……私や霧ちゃんの後輩に、なるつもりなの?」
「そうなりますね。でも、高校くらいはでておかないと、いまのご時世だと就職もろくにできやしないでしょうから……もういちど、最初からやり直したいと思います」
 セッちゃんはきっぱりとそういいきった。
「年上の後輩かあ……セッちゃんなら大丈夫、やりきれると思うよ……でも、私はかなりバカだからなあ……あ、霧ちゃんに勉強見てもらえばいいかもしれない! 霧ちゃん、水泳だけじゃなくて勉強もかなりできるんだよ」
 セッちゃんの表情が、もとの笑顔に戻った。
「それはこころ強いです。ぜひともよろしくお願いします」
 そういって、セッちゃんはぺこりと頭を下げた。やっぱり、このかわいさは男の子としては反則なんじゃないかと思う。こんなかわいい子にお願いなんかされたら、断るに断れないじゃないか。まあ、もともとセッちゃんのお願いを断ろうというつもりは、毛頭ないけれどね。
 そんなことを内心で思いつつ、苦笑いを浮かべたその時。
 ひやりと冷たい感触が私の頬に触れ、すぐに消えていった。
「あ、雪だ……」
 この冬になって二回めの雪が、ちらほらと曇り空に舞い始めていた。

「セッちゃん……」
「なんでしょうか?」
「前……マリンスノーが見たいって、そういっていたよね」
「ええ。あれを見ることは、果たすことのできなかった……本当に最初で最後の、六花との約束でしたから……」
「その約束だけどさ……いま、この瞬間に果たされたんじゃないかな?」
「……え?」
「だってさ……六花さんにそっくりな私がいて、海には雪が降っているじゃない?」
「……ええ」
「……きっとさ、海の底に降る雪も、海の上に降る雪も、変わらないものなんだよ。儚くてきれいで、それでいてどこか強くって……」
「……確かに、よく似ていますね」
「だから……もう、その約束は果たされたも同然なんじゃないかな」
「……!」
「だからさ、もう約束に囚われないで、セッちゃんのやりたいことをやろうよ」
「……僕の、やりたいこと……」
「そうだよ。セッちゃんは自殺をやめて最後まで生きるって、自分の意思で決めたんでしょ? だったら、いま自分が本当にやりたいと思うことをやりながら生きなきゃ、損だよ」
「……でも、僕はまだ、弱いままです。六花とはようやくお別れできたばかりですし……」
「私が六花さんの分までセッちゃんのこころの隙間を埋めてあげられているかは、正直自信がないよ。あの日、本当に六花さんの代わりになれたのか、もね……それでも、セッちゃんは過去も忘れないで、傷さえも受け入れた上で、前に進もうとしている……そうだよね。でも……でもねセッちゃん。私にはセッちゃんがまだ、少し無理をしているように見えるんだよ……」
「……みぞれさん」
「セッちゃん……私の……六花さんからの、最後のお願い……聞いてくれるかな?」
「……ええ。僕にできることでしたら」
「……もっともっと、周りの人を頼ってよ、セッちゃん」
「……いまでも十分頼っていますよ……助けられただけで、もう十分すぎるくらいです」
「……全然だよ。セッちゃんがもっと強くなろうとしているっていうのはわかるよ。だけど、きっとそんな自分に疲れる時があるだろうから……そんな時には、つらいってはっきり口にしていいんだよ。そしたら私たちでもきっと、なにかは力になれると思うから……」
「……いいんですか? もしかしたら、いままで以上にみなさんを……みぞれさんを傷つけることになるのかもしれないんですよ?」
「それでいいんだよ。そうやって、誰かを頼り、逆に誰かに頼られながら生きていくのが、人生ってものじゃないのかな。少なくとも、私はセッちゃんと出逢ってからの三ヶ月で、そう思ったよ」
「……あなたは、やっぱり優しいひとですね。僕は、そんなあなた……みぞれさんのことが」
「ちょ……ちょっと、ストップ!」
「……どうかされましたか?」
「ごめんセッちゃん。その続きはちょっと待って。たぶん……本当にたぶんだけど、いまセッちゃんがいいたいことと同じことを、私もついさっきいおうとした所だったかもしれないんだ……なんとなく、そう思っただけなんだけどさ」
「……どうして、そう思われたんですか?」
「……いま気づいたけれど、私もセッちゃんも、本気でなにかいいたいっていう時には、笑顔が消えるよね? 前にお別れした日のセッちゃんは全然笑っていなかったし、この前の雪の日には、私もセッちゃんにいろいろいいながら泣いていたし、セッちゃんもお礼いいながら泣いたでしょ? それにさっきも、私、自分の笑顔が消えてゆくのがはっきりわかったんだよ」
「……確かに、いわれてみればそうかも……」
「それにセッちゃん、いまも微妙に寂しそうな顔をしている。さっき、私も寂しそうな表情になっていたっぽいから、お互い思っていることは同じなんだろうなって、そう思ったんだ」
「気になることをいいますね……なら試しに、せーので答えあわせをしてみませんか?」
「あ、それいいね。よーし、じゃあ、私が声かけするから、そうしたらいってみようか」
「決まりですね。それでいきましょう」
「……一応訊いておくけど、こころの準備はいいかな?」
「大丈夫です。いつでもどうぞ」
「ならいきますか……せーの!」

「「――あなたのことが、大好きです」」



(完)