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当ブログをご覧のみなさま、こんばんわ(礼)
管理人その2こと藍沢です。

今回は前置きなしで、おととい参加してきた、岩手県紫波町でのイベントの様子を。
長くなりますが、ごゆっくり読んでくださいましたら幸いです。

それでは、始まり。

明け方までは台風接近により荒天だった岩手県、電車は本数が減りこそしたものの動いていたため、お昼に到着をめどにして出発しました。
電車を乗り継いで、おととしの岩手芸術祭・児童文学大会の会場でもあった、紫波中央駅前の複合施設「オガールプラザ」へ。
藍沢が到着した時はまだ会場の設営中だったため、先にお昼ごはんなど、しばし時間を潰しました。

のんびり待っているうちに、今回も多くのメンバーが集った、岩手児童文学の会のみなさまや関係者たちが次々到着。
初めてお逢いする方も多数いて、楽しいイベントになりそうだというのがはっきりわかりました。

13時ころになり、会場の準備が整った所で、いざ会場内へ。
そこでいただいたパンフレットがこちらです。

「赤い鳥」イベントパンフレット

中央の絵が今回のイベントの中心となった、日本の児童文化黎明期を担った文芸誌「赤い鳥」の第1号の表紙。
今回のイベントは、この「赤い鳥」を創刊した児童文学者・鈴木三重吉についての話になります。

13時半になり、いよいよイベントの幕開け。

最初に会場全体で、当地・紫波町出身の児童文学者である、巽聖歌の作詞した名曲「たきび」を歌いました。
岩手県各地から集まってきた童謡関係の団体との合唱、楽しく歌わせていただきました。

前半の講演パートに先立ち、今回のイベントの主催者である、日詰地区先人顕彰会の内城弘隆先生からのご挨拶と、来賓祝辞、そしてスライドの紹介がありました。

来賓祝辞では紫波町の教育長さんと、岩手児童文学の会の新会長となった千葉留里子さんから祝辞が述べられました。
千葉さんの祝辞は、本当に立派のひと言に尽きました。

続いて、少し慌ただしかったですが、内城先生のスライド紹介。
こちらは「赤い鳥」と鈴木三重吉、そして巽聖歌についてのあれこれを4分間で40スライド紹介するというものでした。
さすがにメモをとっている余裕がありませんでしたが、いろいろなスライドが登場し、一部には貴重な資料と思しきものもありましたね。

そして前半パートの目玉、講演に入ります。
講演を行ってくださったのは、鈴木三重吉のお孫さんに当たるお方・鈴木潤吉先生。
今年は「赤い鳥」の100年記念ということで、全国をいろいろと巡っている所とのことでした。

鈴木潤吉先生が用意していた資料がこちら。

鈴木潤吉先生の講演資料

講演の題目は「祖父 鈴木三重吉と『赤い鳥』」です。

まず、鈴木三重吉の生い立ちから。
1882年に広島市で生まれ、のちに東京帝国大学(現・東京大学)に進んで、知らぬひとはいないであろう大文豪・夏目漱石の教えを受けた、いわゆる「漱石門下」のひとりです。
1906年に「千鳥」という小説を完成させ、これが夏目漱石から「僕、名作を得たり」といわしめるほどの高い評価を得ました。
こののち、学校教師などを務める傍らで小説を書き続け、次々と高い評価を得たものの、どこかで行き詰まりを感じたことから、書くことをやめた時期もあったとか。

そんな鈴木三重吉の転機は、娘・すずが生まれたことでした。
娘のために読ませたり聞かせたりする童話や童謡を探したものの、当時の児童向けの文芸誌というのは鈴木三重吉にしてみると非常に娯楽的・低俗なものであり、それならば自分でもっと質のいいものを作ってやろう、と思い立ったのが「赤い鳥」創刊の大きなきっかけだったそうです。

「赤い鳥」で目指した方向性は、当時にでていたような俗っぽいものではなく、あくまで「芸術性」と「本当に児童のためになるもの」であったとのこと。
そのために、鈴木三重吉はさまざまな方面からアプローチを仕かけました。

まず、童話や童謡や絵について、非常にハイレベルな当時のメンバーを揃える所から。
「赤い鳥」に童話や童謡を寄せているメンバーを見ると、有名所だけでも、芥川龍之介、有島武郎、新美南吉、北原白秋、巽聖歌ら、とにかく錚々たるメンバーが集っています。
装丁・挿絵についても、大半を手がけた清水良雄の他、盛岡市出身の深沢省三(←ちなみに呑み仲間でもあったとか)らが参加しています。
また、童話や童謡のみならず、全国(←当時は日本領だった植民地も含む)からの投稿や購読を受けつけ、さらには詩や絵や作文指導、科学についての話(←このあたりも当時の著名な学者に頼んでいる)など、実にさまざまな話題を取り扱った点は、実に画期的だったとのことです。
要するに、いわば「元祖・総合教養学習雑誌」になるのですね。

続いて、童謡の話です。
童謡に関しては、特に有名なのが北原白秋と巽聖歌。
今回は巽聖歌の出身地である紫波町での講演ということで、巽聖歌との関わりが語られました。
巽聖歌は「赤い鳥」に投稿した「水口(みなくち)」という童謡が北原白秋からの絶賛を受けたことにより、そこから「赤い鳥」の常連組に加わってゆきました。
巽聖歌の童謡で最も有名といえるのが、最初に登場した「たきび」。
これは誰もが知っている曲のひとつですね。
なお、巽聖歌が晩年をすごした東京都日野市と出身地の岩手県紫波町は、巽聖歌が縁となって、昨年の頭に姉妹都市になったのだそうです。

話は戻りまして、鈴木三重吉という「ひと」の話へ。
先に触れた通り、北原白秋や深沢省三とは「呑み仲間」(←鈴木三重吉はひと晩で一升瓶を空けてしまうくらいの酒豪)でもあったのですが、北原白秋とは酒がきっかけで喧嘩別れしたともいわれているそうです。
これは個人的に聞いた覚えのある話ですが、鈴木三重吉は酒癖が非常に悪く、北原白秋も似たようなタイプだったために、このふたりが呑むと灰皿が飛び交う大喧嘩になることもしばしばだったとか。
なんというか、人間味のあるエピソードですけれども、悲しい話でもありますね。

また、鈴木三重吉が盛岡市で講演を行った際のエピソードもありました。
城南校(現・盛岡市立城南小学校)で講演を行った際の記事が岩手日報に残っているそうです。
それによると「小学校長論まで出て 若い先生を痛快がらせた」という見だしが。
要するに「校長というのはかくあるべき」ということを語って、それが当時の校長に不満を持っていたかもしれない若い教師たちの共感を得た、ということなのかもしれませんね。
こういうエピソードから見えてくる鈴木三重吉という「ひと」は、すごく情熱的な側面もあり、芯のしっかりとした教育者でもあり、また、演出力にも長けていたという人物なのでしょう。

講演の最後で語られたのは、鈴木三重吉の故郷・広島市に刻まれている鈴木三重吉の言葉です。
「私は永久に夢を持つ たゞ年少時のごとく ために 悩むこと浅きのみ」
……非常に意味深な言葉ですが、これが鈴木三重吉の思い描いていた「理想」なのかもしれませんね。

以上で講演のパートが終了。
鈴木潤吉先生の講演、本当に貴重なお話を聞けて、今後に繋がる気がしました。

さて、後半のパートは、童謡を実際に歌ってみる会です。
誰もが知っているものからちょっとマイナーなものまで、さまざまな童謡を歌ったり聴いたりしました。
お歳を召された方々が多かった会場の中で、藍沢が若干浮いていた感じでしたが、歌ってみると意外に形にはなった感じでした。
完全に初見の曲は、ついてゆくので精いっぱいではありましたけれどもね。

最後に全体で「ふるさと」を合唱し、今回のイベントを締め括りました。
「ふるさと」は何度も聴いている曲ですが、これまででいちばん見事な「ふるさと」を聴けた気がします。

そんなわけで、収拾がついているのかついていないのかわかりませんが、おとといのイベントの話でした。
実に楽しく有意義な1日だったと思います!

最後まで読んでくださりありがとうございました。
以上、藍沢がお送りいたしました。